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悪人が悪人になるのは

だいーぶ前に観た2本の物語。
映画「ヒメアノ〜ル」と、ドラマ「ホームルーム」。

この2本には共通する切なさがある。



「ヒメアノ〜ル」は、いわゆる”殺人鬼”が主人公で、次々と人を殺していく非常にグロテスクな内容だ。R15+指定がされているくらいに惨い描写がたびたびある。初めて観たのは高校生の時だったので、お風呂で頭を洗っているときも怖くなったし、一人暮らしをすることにビビってしまった。

「めんどくさいから、殺していい?」
という死ぬほどゾクゾクするキャッチコピー


「ホームルーム」は、高校教師がいじめに遭っている生徒を守ると言いながら、実は彼自身がストーカーしているという「ヒメアノ〜ル」とはまた違った類いの怖さだ。表向きは人気教師。しかし裏では「俺に守られるために君は不幸にならなければいけない」といじめを工作し生徒に近寄る。寝ている間に部屋にも上がる。

主演・山田裕貴の怪演が、恐怖の気持ち悪さを
演出している。


「怖い」とは違った、私が鑑賞したこの2本の作品に共通する感想は、「本当に彼らは悪人なのか」ということだった。

もちろん、人を殺すことも、ストーカーをすることも、許されることではない。しかし、彼らを「悪いことをした人」とだけ決めつけてしまうにはあまりにも残酷だ。これらの作品に描かれるもっとも重要な視点は「なぜ彼らは悪人になってしまったのか」ということだと考える。

「ヒメアノ〜ル」の森田も、「ホームルーム」のラブリンも、きっとこんな生き方をしたくてしているわけではない。
彼らは人を殺すことでしか、ストーカーをすることでしか、生きられなかった。その行為でしか自分が生きているという実体を確かめられなかった。そうなってしまう人生をこれまで送ってきてしまったから。

彼らが正しく生きる道は他になかったのか、何度も何度も悔しく思うが、それはきっと彼ら自身だけのせいじゃない。人は誰かに影響し、影響されることで人格を作っていくのだから。人は他人に触れた瞬間、その人の人生の一部となる。

他人からの愛に囲まれ、肯定される生き方を、
どうか未来では、叶わないなら来世こそは。

観るたびに震える言動や表情から、幸せになることを諦めたような切なさが滲み出る。そんな彼らに、せめて彼らの人生の一部を覗いた私からは、その想いを願わずにはいられない。

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