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残照
ガタンゴトンと揺られる電車内で、僕は吊革に手をかけながらスマホの画面を見つめていた。画面にはバイト求人サイトが表示されている。諸々の出費が重なり、どうしてもすぐに現金が欲しかった僕は、その日の朝からずっと求人を見ながら行動していた。
懐かしいメロディーが耳に流れ込み、顔をあげてオレンジ色の西日が射す窓から外の駅名を確認する。ああ、ここは。そこは〇年前によく降りた駅だった。懐かしい記憶と共に、耐え難い渇きと深い悲しみ、溶岩のように煮えたぎったそれらが胸中に去来する。
このような記憶の奔流が一度起きると、それは必ず連鎖を起こして他の記憶も引きずり出す。膨大な思い出が降り注いで、僕の足元は泥濘になる。そして僕は足元をとられて転びそうになるか、そのまま転ぶ。だけど、もう転び慣れた。そして起き上がる事にも慣れた。
何かに取り組んでいても、自分の内側から「こんな事をしていても行きつく最期は不幸だぞ。」という声がいつも聞こえてくる。希死念慮と同一の思考から聞こえるものなのか、それともまったく別種のネガティブなモノなのか。正体は分からない。長い間、この思考とも殴り合ってきた。たとえ僕の内から湧き出た考えであっても、僕はそれに従わない。
生きている間に経験する幸福と不幸にはバランスなんてものはないと僕は思っている。だけど、だからこそ自分の人生は楽しい。或いは面白い。もっとうまく形容する言葉を知っていれば『楽しい』『面白い』以外の言い回しを使っているだろう。
とにかく、だ。今はなんとかしてこの虚無に立ち向かう必要がある。僕はまだ人生を終わらせるわけにはいかない。それに、この何が起こるか分からない人生をもう少し続けてみたいと思っている。起き上がるのにだって慣れているのだから。
終
※感情と思考を整理するために久しぶりに文章を書きました。短く拙い文章ですが、読んでいただいてありがとうございます。
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