日記を書くと後で楽しい
日記始めました
最近1ヶ月近く、継続して日記を書いている。
ちいかわの手帳を持っているのだけど、一日一日がちいかわのマンガの一コマになっていて、ふきだしとかも書いてあるのでそこに何かを記入できるという仕組み。
多分、普通に予定を書いても全然いいと思うんだけど、私はそのちいかわ手帳を日記の用途に使っている。(マンスリー部分もあり、全ページ可愛いのに普通に使いやすいのでおすすめ。なんともう2024年版は発売になっている。今年の10月から使える。)
手帳書くの楽しいよって話をするとだいたい周囲の人に、書くことないし…とか、続かないし…とか、よく言われる。
それについてはまた書きたいことがまとまったら書くとして、今日は手帳に日記を書くことについておすすめしてみたい。
日記は続かなくても大丈夫
かくいう私も、では毎日きちんと日記を書いているのかというと、そうではない。
ここ最近また書くようになったというだけで、こんな記事を書いているけど日記も手帳も、かなりとびとびだ。
このちいかわ手帳での日記に関して言えば、去年の10月始まりで買った最初の頃はやはり勇んで書いていた。だが11月ごろにコロナに罹って1週間臥せりっぱなしになったところで書くのが止まる。
次に再開したのは12月の半ば、お正月休みになったら途絶えて、次は3月。そして放置して今、8月。7月の終わりくらいから継続して書き出しているので今のところ夏は3週間くらい続いている感じだ。
そんな感じで、数ヶ月レベルでサボっていることも少なくない。
でも別にいいと思っている。
あいてしまったからやめる、ではなくて、またやりたくなったら再開したらいいのだ。
連続記録が切れたら終わりでもないし、毎日真面目に記入してないから失格、でもない。
手帳はそこにあって、書きたいことがあれば書けばいいし、忙しかったり、できる余裕がないなら書けない時期があってもいい。
書く場所があるんだなと頭の片隅に置いときながら、また気が向いたら始めたらいい。
ので、みんなもっと気兼ねなく何かを書いてもいいのに、と思っている。
日記のいいところ
ただ、こうしてここ最近日記を続けてみて、改めてしみじみ感じるのが、日記ってめちゃくちゃいいなーということ。
何がいいのかというと、書く前は確かにめんどくさくはあるのだけれど、ある程度日数が蓄積してくると、記録が残る。それを見返して、この日はこんなことしてたのか、というのを自分で懐かしがることができることだ。
これが想像してたより結構いい。
文章にするとあまりに陳腐すぎてこの"良さ"の感覚をどう表現していいかわからない。
人間、昨晩の夜ご飯ですらろくに思い出せないのだ。365日、どこで誰とどうしてたかなど思い出せるわけがない。それが、日記があると断片的ながらあーそれやったやった!と思い出せて楽しくなる。
なのでぜひみなさんも手帳やアプリ、なんでもいいので日記を書いてみてほしい。そして、ぜひあとで読み返してみてほしい。
過去の自分が何をしてどう感じたのか。1日24時間のこと全て書くわけにいかないからその中の印象に残ったものだけが選び取られているわけだけど、その「私の人生が編集されたもの」がズラリと並んでるのはなかなか面白い。みんな、なんだかんだ言って他人より自分自身に一番興味があるものだろうから。
noteのようなサービスで書くのも全然良いと思うが、個人的には誰にも見せないことを想定している手帳、ノート、アプリをおすすめ。
どうしても人に見せることを前提にしていると、他人には言えないようなことは絶対に書けないからね。プライベートのものならば、それもできるので自分の気持に正直に日記を綴ることができる。
話は少し変わるが、私は昨年、手帳やウェブのテキストなどでもろくに日々の記録を残さずにいたところ、去年1年間の感想が「私、今年何もしなかった」になってしまい、愕然とした。
多分本当は全然そんなことはなくて、コロナ禍なりとも、友達とできる範囲でそれなりにあちこち行ったりはしたのだと思う。
でも一昨年やその前に比べて大きな出来事がなく非常に淡々と生活した一年だったので、2022年の総括として、何をしたのか、何か新たな出会いがあったか、何か成長するようなことがあったかなど、後から何も思い出せなかったのだ。(私は毎年年末に一年を振り返ることをやるのだがほんとに何も思い出せなかった)
Twitterは毎日死ぬほどやっているツイ廃なので、そちらを見ればもちろんそこそこわかるだろうが、Twitterは一覧性がよくない。膨大なタイムラインを遡って1年間を振り返るのはあんまり現実的ではないし、その日に結局何をしてどう思ったのかの総括もわかりにくい。
そういう意味で、1日の終わりに日記を書くと、その時は自分の心の見直しにもなるし、日記が溜まってくると後で見返すと私という人間の暮らしの再録集みたいになっていて楽しい。
自分がいつも同じことで悩んでることを見つけたり、こういうことを楽しいと思うんだと発見したりもできて面白い。
ぜひ、日記を始めてみないか。
今は8月だけど、別に年始から始めないといけないという決まりもない。適当にノートを買ってきて、今日からやってみてもいいのだ。
続けるために
私は文章を垂れ流すのはわりと苦ではないので、日記帳などではなく普通の、日付の制限のないノートに日記を書き出せと言われたら、それこそ2時間くらい、もっとかけてダラダラと1日のことをすべて書き出すこともできる。
でもそれは毎日やるにはやっぱり現実的じゃない。日記はできるだけ続けた方が後々面白いというのがこの記事の趣旨で、そのためには毎日できるだけ書ける必要がある。
現代人はただでさえ忙しい。
日記だけでなく、何かを毎日続ける=習慣にするなら、(極端な例ではあるが)今日インフルに罹ったとかそんな大変な日でもできるくらい小さなレベルに砕く必要がある。(でも実際かかったら寝てください)
そんな時に何十分も、何時間もかけて1日のこと全てを書き出すのは無理だ。
一行書けばOK、ぐらいの心づもりでやってよいのだ。
先述したちいかわ手帳は、ちいかわのマンガの一コマがベースになっているので、書くところはそんなに多くない。
下手したら一言二言しか書かない(書けない)時もある。
でもその紙面の制約が、たくさん文章を書かなくていいので気軽に書くことができるし、ともすれば何時間でもノートに文字を書き続けてしまえる私には合っている。
毎日なんでもいいから一言でいいので書く。書いた情報が溜まっていく。それをある日なんとなく眺める。
すると、多分ここに書かなかったらもうすっかり全部忘れていただろうな、ということが思い出せて、自分という人間のエピソードの一部になる。
それは日記が溜まるほどいいなと最近感じていて、でも別に書きたくない日は何日でも何ヶ月でも休めばいいと思っている。ただ私もしょっちゅう何ヶ月もページが空くが、やはり後からその空いたところを見ていると、この空白の間私は何をしてたの?!知りたい!みたいな気持ちが湧いてくるのを最近感じた。
本来なら知ってるはずの過去の自分の軌跡を、空いているところを見るとまるで毎週追ってる週刊マンガの続きが気になるみたいに知りたくなってしまうのだ。
(なので最近はできるだけ、未来の自分のために書くか…くらいには思っている)(書けなくなった時はその時はまたその時)
おわりに
今回の記事のタイトルを「日記を書くと後で楽しい」としたが、正直、毎日机に向かうのはいつになっても最初はダルいのだ。
でもそれを乗り越えてとりあえず一言書き付ける。それを何日、何ヶ月後かに見返すと、自分のことを振り返ってまとめて見ることができる。ここの部分がいちばん楽しい、と感じたので、この記事を書くことにした。
なんとなく日記を書いた方がいい気がすると思ってる人もそこそこいるのではないかなと思うのだけど、でもやっぱりめんどくさい。書きたくない日もある。書けなくなるからやめてしまう。そしてモヤモヤ…みたいな。
そういう方もいるかもしれないと思ってこのタイトルにして、この記事を書いた。
書いてる時、その瞬間も筆が乗ってくるとたしかに楽しいが、さらに楽しいと感じるのはその先、日記の溜まった時にもあるよ。その後からの楽しみも、お漬物をつけているときのようなワクワク感みたい。ぜひ試してみてください。
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