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Uberが身近じゃない田舎モノの感覚

ぶっちゃけ、UberとかUber eatsめっちゃ怖い印象を持ってる。タクシーや飲食店のデリバリーサービスではなく、個人が配送を行うサービス。配送者側として稼ぐこともできるし、利用者側として配送してもらうことも可能。

私の地域は片田舎で、そこまでUberのサービスが受けられる土地ではなく、馴染みがない。だから、知らない人間が固定観念を振りかざすのはクソ叩かれる事案なのだが、どうしてもUberはリスクを背負うイメージがある。

(これ今、ジジイが頑固に新しいモノや技術を拒否してる感じの図式と同じになってるんじゃね)

とはいえ、「リスクを背負う」イメージが払拭できない。目的地へ向かうのに個人の車に乗る、飯を食うのに個人に依頼して運んでもらう、めちゃめちゃリスキーな気がする。

「個人」という単語から連想する人物像がそもそも曲がってるのかもしれないし、Uber配送者の大半は善良な人であることに違いはない。
世紀末みたいな人がいっぱいやってたら、サービス自体が崩壊するし。現に、世界的にサービスが普及しつつあるのは、ちゃんと機能してるからだ。

でも、やっぱりこういう案件は起こる。

これは私が日頃よく観てる海外のYouTuberのツイートなのだが、大まかに言えば、「宅配の詳細に“玄関前まで”と指定したのに、このビッチはそれを拒否して注文した飯と一緒に走り去って行った」とのこと。

この画像では見切れてるが、宅配詳細として「玄関前」に届けることが明確に指定されていた。

「Uberの女性は家に連れ込まれて乱暴されることを恐れたのでは?」との声もあったが、だったらUberを仕事にしないだろうし、運んできた飯をその場に置いて立ち去ればよかっただけの話。
ただ、これはUberが普及している海外でもよくあるパターン。


Uberの配送者は「法律上の労働者にあたらないから、労基法の保護を受けられない」とも聞く。今はどうなったのか知らないけど。

そして日本でUber配送者になるのは、「車など運搬手段がある比較的若い人たち」だと考えられる。

「若くて車持ってて、Uberで生計立ててる」と聞くと、もうその人物に頼むこと自体がリスクな気がしてならない。

生肉、新鮮だから食えるよ。って言われて食うぐらいのリスク感覚。

若くて車とかバイク持ってることにヤンキーのイメージしかないのはやっぱり田舎の人間だからかな。

Uberの規約は存在するだろうし、その規約を違反した時の処罰も相応のものがあるのだと思うが、その個人の持つ「やらかしポテンシャル」みたいな空想の産物が不安要素になってしまう。

働いてることには違いないが、店舗に所属しているのと、Uberのサービス登録して働いているのとで、たとえば「食べ物を運ぶ途中に意図的に唾を吐いた」として、どちらも問題になるが、個人の背負うリスクの度合いが違う気がする。

店舗をクビになってまで食べ物に唾を吐くか、Uber内の登録が解かれて食べ物に唾を吐くか。やったことは同じだけどそれが与える影響の規模が違う。

サービスが巨大で包括的なものだから、Uber側も責任はそこまで負えないだろう。店舗となると、責任問題に発展する可能性が大いにある。気がする。

まぁでも、一部でそういうことが起こると、善良な人間が損をする構図はどの社会でも同じかな。


結論、田舎者だからUberがどこかしら怖いって意識があって、だんだん頑固なジジイのしんどい思考になってきてるから、気をつけよう。って話でした。

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