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見得を切る現代マネキン思考


見得を切りたかった頃


ポーズだけで実践しない人間にはなりたくなくて、小難しい本をとにかく大量に読む時期がありました。

文学青年的なイメージを周囲には期待されていた(ような気がしていた)ので、そこに寄せようと、とにかく本を読んだ。
周囲に持たれているであろう印象にに沿ってキャラクターを強化することで自らを印象通りの存在にしようとしていた。

なんというか、これはよく考えるとナルシシズム極致の行動といった感じがしてキモいな。あらためて当時のスタンスを考えると動悸・息切れ・震え・かゆみの症状が出る。救心を服用したほうがいい。


スカマネキン脱出法


自意識を迎合させることで、周囲にすんなり受け入れられたい( 訳: モテたい)と思っていた。 思っていたんだよ、人に好かれていたいと、コミュニティの内側だけでいいから広く好かれていたいんだと。 

自分の印象は周囲の人たちが外堀を埋めることで出来上がる。だからこっちも側(がわ)から作っていこうみたいな、そういう節はありました。

ポーズだけで中身がスカなマネキンになってしまっては格好がつかないので、 あらゆる本を手に取った。ブックオフで中古の小説から日焼けした詩集、知らん哲学書まで。 週に1回5冊買ってきて、 月に10〜20冊の文庫本を読了するサイクル。

もともと趣味の欄に「読書」と書くほどには好きだったので、0から始めるというよりもこれまで以上に量と種類を増やすことにした。

当然、本によって分厚さも内容の重さも異なるのでペースにもばらつきが出る。
それでも約一年半の間、月10冊を切らずに継続できたのには秘訣がある。 それは、モテようとする執念でも、ポーズだけの人間になりたくないゆえの意地でもない。驚異のペースを持続させるために具体的な方法をとっていた。


飛ばし読み


なぞって読むのではなく、写真を撮るように全体を見る。
その文章でいわんとしてることが分かった(気になった)らもう文末までは読まない。
起承転結の結にあたる部分を先に読んだ後、頭から読み進めて、自分の中で補完できると思ったパートは大胆に飛ばす。

上質な読書体験を料理を味わうことに例えるなら、これは大食い選手権。重要なのはとにかく自分の腹に詰め込むことなので、あくまでスピード感を優先する。


倍速病の先駆者


この大食い早食い読書法で得られた知識は、部分的に役立つことはあったものの、しょせん付け焼き刃なので今となっては書籍のタイトルぐらいしか記憶にない。

昔とった(ような気がする)杵柄、今は形無し。

コンテンツ消費における効率については、最近の 「倍速再生」や「10秒飛ばし」の話題に通ずるものがある。

飛ばし読みで時短しながら大量消費する本のフードファイター。さすがに映画や曲を早送りで視聴することはないが、もしかしたら私が倍速病の走りなのかもしれないと、そう思うほどには自分に近いトピックだ。

話逸れるけど、3月9日を倍速で聴いたら6月18日になるよね。

とりあえず知っておきたい、 履修済みであるとしておきたい。そんな意識のもと生まれる行動原理。 これだけおさえてりゃ看板に偽りなしやろと、もはや動機は見栄を張ることになってしまっていた。恥ずかしい。

結局、実践してる人の「深みとコク」みたいなものは一朝一夕で醸し出せるものではなく、見栄のために見繕ったものじゃ足りるわけもない。


裸のマネキン


急いでこしらえた知識経験では、せいぜい「見映えだけいい服を着たマネキン」が関の山で、マネキンからの脱却ははかれなかった。

過去の自意識やモテの話から、コンテンツを消費するマネキン論に着地した。

ポーズだけで実践しない裸のマネキン、自意識の服を着たマネキン、コンテンツ大食いマネキン、数々のフォームの変遷をたどってきたが、今現在の自分は果たして人かマネキンか。

いずれにせよ、表面だけ手入れしてても「あ、こいつ周りの人間の評判でイメージ担保されてるだけで、意外と中身しょうもねぇやつじゃん」と関わりが深くなれば明らかになってしまう。それで落胆させてしまったことも多分ある。

もっと素直に俗物的であっていいじゃないかと。「私群れませんし、カテゴリの枠外にいますから」といった才能あるフリはしなくていい。虚飾は寒いから。

気になるホラー映画、気になるけどやっぱり怖いのでシークバー動かしながら視聴するマネキンはそう思う。






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