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マイナスな言動はヒトやモノを遠ざける

日経電子版のコラム記事みたいなタイトルにしてみました。ネガティブ思考や気分が沈んでマイナスなことしか思い浮かばない、なんてのは日頃よくあること。「私なんて…虫ケラ以下の※※※※野郎で※※※の※※より※※※で※※※だ…」と思うことばかり。

人間らしさ、とはむしろそこなのかもしれない。

逆に「私は誰よりもすごくてえらい千年に一度のすごい存在なんだ!」と確信を持って日常的に思ってるやつがいたら本当にすごいし、本当にヤバい人。

人々は組織や集団、ある種のコミュニティに属する中で(頭良さそうな言い回し)、ちょうどいい感じに色んな気持ちを胸にしまったり、喜怒哀楽を小出しにして表現する気持ちに偏りが過ぎないよう分配してる。

はず、なのだが、組織や集団の中に一定数は存在するのだ。「マイナスな言動を発信して、周囲の気を引こうとする者」が。

ここで意味する“マイナス”は、単にネガティブで心配性の人とは少し違う。「どうせできないよ」はネガティブかつマイナスな発言だが、「しんどい」はマイナスな意味を持つ言葉。
マイナスな意味を持つ言葉をやみくもに乱発して、人の目がつくところに撒き散らし、あわよくば誰かから心配や労いの声をかけてもらいたがる。

たとえば……

「そこまで頑張ってないのに、死ぬほど頑張ってますポーズをとって、その状態を何かと見せたがる」

頑張り方は人それぞれ。しかし、頑張り50のことを頑張り320ぐらいに見られるよう演出と脚色を加える。誇大広告かい。

「実はそうでもないけど、私弱ってますアピールをして、身体やメンタル面の不調を分析・解説してる」

キャパシティは人それぞれ。ただ、それなら先に病院行っておくれよ。SNS上で満身創痍な感じだけど、会うとめっちゃ普通に元気。なんなら自分より活力あるんかい。

といった具合に……

我慢し続けろ、とか、弱音は吐くな、とかを言いたいわけじゃない。むしろ、それはダメ。
先に挙げた例とは逆に「頑張りが評価されるラインがわからないから、倒れるまで頑張るしかない」とギリギリでいつも生きていたいのか、あぁ?とKAT-TUNに言わせるほどの人間も見てきた。

倒れるまで頑張ったって誰も褒めてはくれない。よく頑張ったね、ではなく叱責。本気で心配されているからこその叱責。間違った頑張り方をしているから、心配させることになる。倒れるまで頑張って褒められるのはマラソン走者ぐらいだ。

少し脱線したけど、主題はマイナスな言動はヒトやモノを遠ざけるというもの。
簡潔に言うと、弱ってもないのに人の気を引きたい目的で弱音を吐くと誰も近寄らなくなる。ということ。ファウルを取るために、わざと大げさに痛がる戦法は人間関係という名のフィールドでは通用しない。

現状に留まり続けて周囲にかまってくれと垂れ流すのは赤子だけが認められる。現状を変える方法は無数にあって、やろうと思えばできてしまうのに現状維持で不満を言い、周囲の人間にかまってもらおうとするのは、関わりを持つヒトやそこから生まれる機会などのモノを遠ざけてしまう。

いじめやブラックな労働をさせられて生計のためにも辞められない袋小路の状況を指すのではなく、ガムシロよりも甘い状況を「苦しくて世知辛い」といってしまうようなものを指す。

私も人のことはあまり言えた立場ではないが、ヒトやモノを引き寄せたいのならば、マイナスな気持ちは別の方法で吐き出して、ひたむきに生きてる風をまた装うしかない。

「誰かの気を引きたくて」という動機は客観的に見ると、大体スケスケでバレバレのシースルーなのだ。人から心配してもらうためのオーバーリアクションは。




ちなみに先日から、お腹が痛くて頭も痛い。もともと体が弱いのは知ってたけど、まさかここまでバイトと夜更かしが響くとはなぁ〜🤔😭はぁー、マジ誰か看病してほしいわー😅


こういうこと。

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