【随想】漫画『チェンソーマン』~ノンフィクションとの邂逅~

チェーンソーマンなのか、
チェンソーマンなのか、
読み終わっても思い出すことができない。

読後感は狐につままれたような感じ。
え?
そんな終わり方でいいの?

まさか乱気流に飲み込まれて急な旋回をして着地するとは思わなんだ。
主人公の進む行き先(内的要因)がうずまきにぐにゃりと捻じ曲げられ
突如として現れたノンフィクションという外的要因に飲み込まれる。

さもこれが、カフカの理不尽な現実ですよと言わんばかりに物語は時空ごと歪み、
誰が今どこで何をしているか、何を考えているか、どれが本当の話なのか、たやすくは理解できない。

ルックバックと同様、言葉では語りきられず、
映し出される映像、現象、行間からの読み取りを求められる。
数々の映画のオマージュがあるとのことだが、この辺りの表現も非常に映画的だ。
この読後感は、言葉で説明しきれない捉えどころのない世相をとてもリアルに表していると思う。

理解できるのはつまるところ、胸元の心臓エンジンをブルルンと躍動させ、
日々の食事にありつくために必死に戦うなんでもない主人公の日常と非日常である。
そんな日々は、第三者から見たら時に悪魔にもヒーローにも映っていることだろう。

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