【随想】名探偵コナン

困難なコナンの購読。
コナンはミステリーなのか。
ゴルゴ13なのか。こち亀なのか。
それとも、ラブコメなのか。
少年漫画のような、
夢、希望、冒険、友情、努力、勝利はなく、
ただ繰り返される四季、
歳を取らない登場人物、
永久に起き続ける凄惨な事件とその解決。
基本のフォーマットは
事件発生と同時に、3人の犯人候補が出てきて、
読者はコナンと一緒に謎解きを行う。
全体の傾向としては、
犯人の内面=犯行動機にフォーカスした作品が少なく、
どちらかといえば、犯人の仕掛けたトリックの解読が主となっている。
そう考えるとコナンという漫画は、必ず捕まるのためのトリック発明集といえるかもしれない。
コナンの正体がバレるバレないに一喜一憂していたのもせいぜい50巻頃までの話、シェリーも含めもはや取り越し苦労である。
さらに最近では、黒ずくめに追い詰められる危機も減り、FBI、CIA、公安、MI6とコナンの周りに次々と集まる天才たちの華麗なる謎解きバトルの様相が強い。
これは、東大王や脱出ゲームのように、記憶力や頭の良さがエンタメになる時代に呼応するようでもある。
ある時から、コナンは、ちびまる子ちゃん、ドラえもん、サザエさんのように、永久に成長することのない終わりなき日常が続くようになった。
それは、エンドレスエイトで描かれた閉鎖的な擬似空間、仮想ユートピアへの逃避でもあるかもしれないが、
しかし、コナンにおける唯一の救いは、物語の終わり=大いなる目的に向けて進んでいるだろうという期待である。
ひとつは、新一と蘭の恋愛の成就であり、
もう一つは黒の組織との決着である。
物語に終わりがあるということが、前に進んでいるという実感になるのだ。
果たして本当に終わりはやってくるのか。
数々の謎と伏線を張り巡らしながら、
まだまだ終わる気配の見えない100巻。
散りばめられたピースが、ひとつなぎの大秘宝になることを願って。

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