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【LTRインタビュー:佐藤允彦(さとう・まさひこ)】その2

(初投稿2024/1/31、最終改稿2024/1/31)

佐藤允彦さんの事務所の壁には、ご自身の膨大な作品のうち3枚のアナログLPレコードが額装されて飾られています。インタビュー当日に私が持参したLPは、偶然にもそのうちの2枚でした。今回は、これらについて伺ったお話からお届けします。

まず、1979年の『オール・イン・オール・アウト』。ニューヨークのパワーステーションで録音。佐藤さんはピアノ、エレピ、シンセサイザー、作曲&アレンジなどを担当され、演奏にはデイヴ・リーブマン(サックス他)など豪華メンバーが集結。確かに耳馴染みが良いアルバムで「フュージョン路線を代表する作品」などともいわれていますが、凡百のお気楽なサウンドとは一線を画しています。

Masahiko Satoh / ALL-IN ALL-OUT, 1979

佐藤:えーと、当時ソニーに伊藤潔っていうディレクターがいて、その頃僕はアレンジャーとして仕事してたんですね。ナンシー・ウィルソンっていうボーカルの人のアルバムを作ってるとき、伊藤潔に「たまには佐藤さんのやつも作ろうよ」って言われて、それで作ることになったのがこのアルバムです。
いろんな人が入ってるんだけど、ドラムにハービー・メイソンが入ってるんですね。ハービーはバークリー(音楽大学)に行ったときに同期だったドラマーで、卒業後はすごい有名になって、ニューヨークで大活躍してました。彼が「佐藤のアルバムなら何でもやるぞ」って言ってくれたんです。
アルバムのカバーは有名な石岡瑛子さんってデザイナーに頼んでくれて。彼女はその後マイルス・デイヴィスの作品(『TUTU 』1986年)なんかもやってました。
当時はちょっとフュージョンが流行ってたところもあって、結構面白がられた作品ではあります。


次に「記念碑的な初リーダーアルバム」、超名盤として名高い『パラジウム』です。1969年の東京録音、ピアノ・トリオ作品。ベースに荒川康男、ドラムスに富樫雅彦が参加。再発売されたときには魚の写真を使ったジャケットになっているものもありました。ビートルズの「ミッシェル」佐藤ヴァージョンを収録。音楽雑誌「スイングジャーナル」誌主催の第3回ジャズ・ディスク大賞で日本ジャズ賞を受賞。

Masahiko Sato Trio / PALLADIUM, 1969

J:この時の思い出とかあれば聞きたいです。

佐藤:この時の思い出ですか。ええ、この時は、ね。この時は、録音を2日間やったんです。1日目は荒川さんが風邪ひいて、調子悪かったんです。2日目は富樫が風邪ひいてて、調子が悪くて。録音終わってから「どう思う?」って聞いたら、「60点ぐらいかな」とか言ってました。
あのー、これの前に…。赤坂に「MUGEN」っていうディスコがあって。そこの社長がジャズも好きで、地下2階に大きなホールがあって。地下1階は階段を降りると踊り場みたいになってて、その脇にちょっとした部屋、ちょっとしたっていってもけっこう大きい部屋があって、そこでジャズをやってました。この3人でやってたんです。そんときに「あー今日面白かったね」と言ってたのを100としたら、これは60ぐらいなんですよ。

K:そうなんですか?!いや、これすごいですよ。感動しましたもん。

佐藤:でね、この富樫さん。彼が僕をフリーのインプロヴィゼーションの世界に誘いこんだ張本人なんです。1968年にアメリカから帰ってきて…荒川康男と一緒に帰ってきたんだけど。新宿の「タロー」っていうライブハウスでデュオやってた時に富樫さんが入ってきて、ピアノの前のところにヤンキー座りして聞いてて。終わったら「俺も入れてくれ」と言うんで、それで始まったんです。
当時の富樫さんは、脚のある(事故で麻痺する前の)富樫さんだった。ベースドラムのリズムと、左手と右手でそれぞれが別の、3種類のリズムを同時に出していて、この人すげえ何考えてんだろうな〜とか思って聞いてました。
なんかリズムっていうか、サイクルっていうのか。こんなのとあんなのといろいろ折り混ぜてごちゃごちゃになってそれで成立してるみたいな。そのなかでソロやったりなんかして、この人どういう人なんだろうって。すごかった…あれを録音しときゃよかった。こんなの(『パラジウム』)駄作だよなっていう感じ。

J:えーとんでもない。その時それだけすごかったってことですよね。

佐藤:いやだから、その録音のあと、土曜日のやつの方が面白かったよなって話してたんだよね。それでやってるうちに、もう富樫さんが口癖のようにフリーやろうよって言って。
で、いいよ、フリーやろうとかって言ってなんだか始まったんだけど、お互いフリーの何たるかもよくわかんないで、ただやっててだんだんしらけてきて、荒川康男が寝ちゃったり。そういうグループだったんですよ。

K:えー(絶句)

佐藤:フリーのインプロヴィゼーションが当時は全く受け入れられなくて。あるコンサートをやったのね。それがLPになって出たんだけど、佐藤允彦トリオ『ディフォーメーション!』ってアルバムになってると思う。梵鐘の音とか、弦楽四重奏とかとにかくいろんな音をテープに入れたのを流して、こっち(演奏者)はフリーやるっていうコンサートだったんです。砂防会館かどっかでした(書籍「佐藤允彦ディスコグラフィー」では1969年サンケイホールでのライブ盤と表示)。
テープのどの辺にどういう音が入ってるか僕は知ってたけど、富樫も荒川も知らないわけですよ。なので、とりあえず始めて、最後はこういうのが出てくるから、これ出てきたらそろそろ終わりだと思ってねとかって言って。

K:それで?

佐藤:コンサートが終わって、スイングジャーナルの評論家の人が来て、あれはどういう仕掛けでやってるんですかって言うから、全部フリーですよって。譜面も何もないって。そしたら「そんなことできるわけないじゃないか!人を馬鹿にするのもいい加減にしろ!」とか言ってバーンとドア閉めて帰っちゃいました。なんか、そういう、そんな程度のもの。

K:たしかにそういう感じしますよね。すごく練られたような。

佐藤:しちゃうときありますよね。すごい偶然って面白くてね。うん。カチンて鳴った時に向こうからパチンなんてちょうど聞こえてきたりとか。そんなのをやってましたけどね。

K:常に質の高い音楽を。

佐藤:いや、質が高かったかどうかは分かりませんが、当時に比べれば、今のフリーのインプロの方がはるかに大局観があり、構造的にしようと思えばできるし…いろんな手立てがありますね。
なんかインプロ(インプロヴィゼーション)の話になっちゃいましたね。

閑:それが聞きたいんです。

(J)(Headline photo ©2023 J@TokyoJapan)

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