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今年のVtuberのオリジナル曲100ぐらい振り返っていく⑦『AZKiさんとVと私編』

 7本目です。今回はAZKiさん曲にしぼって振り返っていきます。AZKiさんは一応全曲チェックしてるしアルバムも買ったけど聴き込んではいません。所謂初心者ですね!!なのでこの機会に1から、いや0から振り返って聴いてみて「お、これ好きだな」というものに関して突っ込んでみます。また、AZKiさんに関してはライナーノーツが公開されているのでそちらも参考にしています。

 AZKiさんは2018年の12月28日に1stオリジナルソング『Creating world』を投稿されています。この曲についてもライナーノーツがあり、そこに以下のような記述があります。

あまり「ここはこうなんです……!」と書くと蛇足になってしまうので、
ここからは皆さんが創造して下さい。
AZKiの世界やストーリーは、応援してくださる皆さんが
AZKiと一緒になって創るのだと思います。
この『Creating world』がAZKiにとって、皆さん開拓者に
とっても世界創造の第一歩となるような音楽になれば嬉しいです。

 私は「私は開拓者だ!!」という意識は一切ないのですが、この言葉に胸を借りる気持ちで振り返っていきたいと思います。

28. リアルメランコリー / AZKi

 2曲目でこの内容出せるの凄いですね?AZKiとして生きていく、歌っていくんだという決意を感じますよね。この歌で感じたのは歌におけるAZKiさんの主体性です。「私はこう思ってる」「私はこう活動したい」というAZIkiさんが大事にしたい軸を作品を通して聴いている人に提示している気がします。あ、この曲の内容上、私の考えや活動を踏まえての感想になります。要はめちゃくちゃ長くなります。

 まだまだ若いVの界隈では色んな正論がまかり通っています。もちろん王道なアプローチは存在していますが、その中を盲目的に活動するのは自分の意志をもつ存在としては時折ズレを感じてしまうでしょう。成功しているVが生きている世界と成功を目指すVは必ずしも同じ世界で生きる必要はなく、むしろ自分の世界観で一歩一歩進んでいくことが成功への道のりなのかなと。

 歌詞の随所に『推し』という概念を持つ人には刺さるフレーズがありますよね。『私は「I」は誰かに取って代わるの?』なんてキッツいフレーズですよね。もちろん、『推し』という概念は対象を選ばないというか自分の好みに当てはまる概念だと思うので、取って代わるでしょう。この問いに対して「取って代わらない」と切り返すには『AZKiさんだから好きな理由』を用意していないといけませんよね。

 私は別にAZKiさんを推している訳ではないので、この疑問に答えなければいけないわけではないんですが、『私がなぜ今AZKiさんの曲を振り返っているか』の問いには答えておきたいと思います。それはAZKiさんが2019年のVの音楽というものすごく狭い時間とカテゴライズの中で私が出会ったSingerだからです。

 私はVのオリジナル曲を毎月50~80曲聴いています。3月から出会った曲全チェックしてリストにまとめていますが、毎月少しづつ新しいVと出会うのでチェックする曲は増えていきます。界隈は未だに広がりを見せていますし、音楽に限ってもとんでもない新人が毎月1~2人は出てきます。しかし、時折リストを振り返って見てみると『非公開』になっている動画が数本でてきます。非公開動画の恐ろしいのはその動画は元はどんな動画だったのかわからない点です。もちろん投稿IDをGoogle検索する、インターネット図書館を利用するなどの手がないわけではありません。でも、リストを眺めて「その動画がなんだったのかわからない」という体験は非常に恐ろしいものです。

 そんな中で『AZKi』という名を持ったSingerが音楽を発信している。そして、それを私が聴いている。これだけで十分振り返る理由になるでしょう。来年、私が、AZKiさんがいるとは限りませんから。好き嫌いはありますが、時間と言葉を尽くすには十分すぎますね。

 さて、AZKiさんが投げかけた問いについては私なりに回答できた気になったので、次はAZKiさん自身が持っている疑問についても見てみましょう。『「流行り」と「好き」どっちも欲しい』ですね。

 「流行り」と「好き」ってVの活動においてもどちらかだけでは駄目、特に営利企業においては無視できない問題だと思います。現実的には活動全体をどちらかに寄せるのではなく、作品ごとに『今回は流行りに乗っかる』『今回はいつも好きでいてくれる人に向けて』という風に指向性をはっきりと持たせることが大事なのかなと思います。そして作品群の中でバランスをとる。

 そこで度々出てくるVとの距離感の話につながります。ファンに寄り添いすぎると界隈の外には届かず、界隈の外に全力を出すとファンは寂しがるというアレです。この問題は解決法が明確にあって、まず先程書いたように今回はどちらに寄せるかというのは表面上で設定し、その中で界隈のどちらにいる人にとっても刺さるような問いを内包させる。というのが上手いやり方であるように思います。

 要は方向性としてはどちらかに舵を切っているけれども作品としてはどちらも満足させるというものです。この方法の良いところは妥協させるのではなく自分の作品でなんとかできる、という点です。なので「流行り」と「好き」についてもどちらも抑える!!くらいの作品が作れればそれで済む話ですよね。あ、クリエイター諸氏の「それができれば苦労しない」という言葉が聴こえてきますね。そこは聴く方としては悩むところでは有りませんし、なにかを妥協して「好き」で居続けるのは難しいと思います。

 クリエイターはこのメランコリーに対して時には苦痛の伴いながら生まれ変わることで答えを求めていく。この葛藤に対してAZKiさんもクリエイターとしてエールを送っているのがこの曲かなと。うわ!!すごいですね。この曲もよく聞くとファンに対する活動指針を示すだけの曲じゃない!!とびっくりしたのがこの曲の感想を書いている理由だったりします。なんとなくひっかかる曲はこういうことがよくあります。長くなりましたね。次の曲に行きます。

29. Starry Regrets / AZKi

 いや、この曲は上手いこと界隈外に向けた感じに綺麗にまとめながらも、界隈にいる人にはぶっささる歌詞ですよね。なのでもちろん界隈にいるひとに向けてのメッセージだと思って聴いても良いんですけど。ここは敢えて、外側から聴いてみたどう感じるか考えてみましょう。

 『うわ!!Vのこと忘れて聴いてみたらめちゃくちゃラブソングじゃん!!』と思いません?私は思いました。リアルのアーティストの曲でこんなラブソング聴きます?あんまり聴かない私は「片想い切ないよな……わかる……」とクリスマス前にこの曲聴くのキッツいなと思いながら書いています。

 片想いソングも古今東西で歌われていますけど、現在進行系の恋か、終わってしまった恋の歌かで聴くタイミング違いますよね。なるべく自分の心情と重なる時に聴きたいというか。ありますよね?これは「片想いだった」歌なのでめちゃめちゃ切ないですよね。しかも、片想いの相手亡くなってますし……でもメロディは残ってたと。いや、辛い。

 相手が亡くなってるという体験までは流石に共感しきれないかもしれませんが、それでも二度と実らない恋の歌としてしっかり感情移入してしまいました。『甘い歌ばかり胸にしまうのはできなくて』なんか良いフレーズですよね。整理しきれてない感情が溢れてる感じがしてます。AZKiさんのコーラスも反芻するようになっていて思い返してる感というのでしょうか、すごく伝わってきます。

 とまぁ、Vを切り離しても聴けるんですよね。当たり前なんですけど。あんまりVどっぷりだとこっちの文脈での聴き方を忘れてしまうのでたまに意識的に聴かなきゃなと思います。

 さて、これで『リアルメランコリー』の感想で書いたようにVとの距離感が遠い人にも刺さるテーマを取り扱いながらも界隈にいる人はざっくりと刺しに行ってる曲だということが分かりますね。こういう、先程のクリエイターのメランコリーの上に創られたんだろうことが想像できる曲は私個人的にとても好きですね。創るの難しい割にはファンにも界隈の外にも刺さらなかったりしてクリエイターとしては1番しんどいタイプの挑戦だと思うんですけど。AZKiさんとハムさんのナイスチャレンジだと思いました。

30. Fake.Fake.Fake / AZKi

『うわ!!そっちか!!』としてやられた一本。
 というのも、MVを歌唱している本人がやらないというアイディアは結構色んなところで見かけていたんですね。でも、無意識で実写MVを想定していたんですよね。不思議ですよね。この期に及んでリアルのSingerを前提に思考している自分にもびっくりしました。アイディア思いついた森山ド・ロ恐るべし。

 バリバリロックで最初聴いた時は「うん!???倍速になってるか???」と思ったくらいです。曲調だけでいうとAZKi曲でもかなり好みの曲です。LiSAとか好きな人は好きになりますわそれは。ライブとかで聴いたら後先考えずに暴れちゃいそうですね。

 結構MVと曲のインパクトで十分満足しちゃいそうなんですけど、歌詞もとんでもないですよね?Vが歌うFakeってそれだけで強烈です。『こんなマガイモノの世界は自分を見失いそうだ』なんてすごいフレーズですよね。この世界というのは何を指して歌っているんだろうか、というのを考えるだけでもワクワクします。

 おそらくですが、Vに限らず一瞬の内にコンテンツが生まれて消費されている世界のことを指しているんだと思っています。自分という存在をコンテンツとして世に出しているVは存在意義を求める旅として異常な世界に繰り出すわけですから、自分を見失いそうになるのも無理ないですよね。歌詞の終わりも『全てはFake』で終わっているので歌詞だけ追うと絶望感しかないですけど、そこでこのバリバリロックが聴いてくるわけです。あ、AZKiさんはそれでも走ることを止めないんだなというのが分かりますよね。

 こんな絶望のある世界でありながらかっこよく歌ってくれるAZKiさん、かっこいいですね!!なによりリスナーがいる限りはフェイクであろうがリアルであろうが存在できますから。誰も見てくれなければリアルであろうと存在できませんからね。そして、この曲にAZKiさんは映ってないのに私はAZKiさんを認知できるのでこれがAZKiさんはFakeではない、という何よりの証明なのかなと思います。

31. いのち / AZKi

 まぁそりゃ私の読み方からしてこの曲について触れるのは必然というか避けて通れないというか。でも、この曲をVの生命として読むのはあんまり正直すぎて面白くないのでVの文脈とリアルの文脈MIXで読んでいきたいと思います。

 先に曲の方に触れるんですが、食器の音とか聴こえてくるところとかめちゃくちゃ好きなんですよね。有機酸さんのカトラリーとかからなんですけど。あと、この曲のメッセージと絡めると恐ろしいんですが、ラストのコーラスで『Liar』『Desire』って言ってるのが好きです。

 さて、歌詞の方いきましょう。AZKiさんの曲は時折、Vとしての暗黙の前提を前提のままその上に作品を積み上げるのではなく、AZKiさんなりに再構築、リスナーとの間で確かめ合うことがあるようにあります。『息をしている 君は生きている』なんて改めて言わなくても私には分かりますし、『息をしている ように見えている』ことも私にも分かっているんですよね。その上で歌うし、その上で聴く、という関係性の再定義。大事ですけど自分の主たる音楽の中でこれをやってくれるのはすごくいいですよね。

 さて、リアルメランコリーでもありましたけどぶっ刺しにくるフレーズが今回もあります。『恋と推しは違うんでしょ?』いやぁ。これえげつないですよね。これ今までAZKi推しだった人の中でガチ恋の方に傾いちゃう人いたんじゃないですか?

 また、ちょっと推しという概念の話について触れたいので本筋から離れるんですけど。私は、V本人と自分の距離感をコントロールするために『推し』っていう立ち位置をとると思うんですけど。ほんとは『推し』っていってる人もガチ恋の人もみんな『好き』という同じ感情を持っていると思うんですよね。その中で恋ってやっぱり独占欲的な自分本位な側面もあるのでコントロールしなければ、より近くへ、より分かりたい、より知ってほしいという方向にいっちゃうと思うんですよ。でも、それは散々問題になってる通り自分本意すぎる行動や発現は対象を傷つけてしまう。だから、大衆が使っている『推し』という概念を使って距離感をコントロールしている。非常に日本人的なコントロールだと思いますけど、上手いこと機能してるなと思います。

 そんなところに『恋と推しは違うんでしょ』ですよ。しかもその後に『君はが忘れちゃったら私は居なくなるの』ですからね。いやぁ。開拓者の方はさぞ堪える歌詞でしょう。こんな事言われたら『忘れないよ』と声高に叫んでしまいそうですね。

 さて、この曲では触れざるを得ないVの死ですが、基本的にはリアルの人間と変わらないですよね。私の中で死というのはDr.ヒルルクと同じです。忘れられた時がそのいのちにおける死。その上で私は『忘れない』ということは絶対にないと信じています。どんなに大事な人の死でもいつかきっと忘れる。死んだ時と同じ気持ちをずっと持つことはできないと思っています。夢はいつか覚めますし、夢を見ていたときの気持ちを記録として残すことは出来ても、気持ちを再現することは現状出来ません。

 この歌で『またね、バイバイ』というフレーズがあります。忘れられたら居なくなる、と言っておきながらこの言葉が出てくるというのは面白いですよね。これはまた思い出させるという宣言のように受け取りました。AZKiさんの活動としての終わりはいつか来ますが、私も曲を聴く度AZKiさんを思い出すことでしょう。

 あ、なんか終わりみたいなりましたけど続きます。

32. from A to Z / AZKi & 33. ERROR / AZKi

 ここまでの到達点みたいな曲だなと。ものすごくファン宛ての曲なのでこの曲は開拓者の方こそ筆をとるべき曲だなと思います。

 さて、全曲聴いて来た方なら『from A to Z』は一本の物語のオチ的な曲なのでフレーズや、アレンジに物語性があって楽しめたのかなと思います。発表順的にはERRORの方が後なんですけどね。物語として読んだ時にERRORがどう効くのかは面白いところなんですが、ERRORの歌詞に『たとえすべて無くしても不安なことは何もない』という歌詞があるんです。『Creating world』のアンサーとして存在する『from A to Z』で一度答えが出た後にもAZKiとしては前に進んでいかなければいけない。そのための『ERROR』なのかなと思いました。

 『from A to Z』が答えというのは作詞をAZKiさんが担当しているというところにも現れていていいですよね。最初に与えられた問いに対して、曲数を積み上げることで自ら答えを出す。素晴らしい流れですよね。ここで大事なのは『世界が変わる そこに君はいない それでも良いと 思えたんだよ』とまで書いてるところですよね。『いのち』を歌っていた人がこの曲歌えるの凄いですよね。時間の流れや葛藤のその先に答えを見つけ出してるような気がします。

 『ERROR』の方はこれはもう『いのち』だったり『リアルメランコリー』での問いに丁寧に答えを出したAZKiさんが次に行くよ、という宣言ですよね。今までの問題ってのは結局のところは普遍的な問いです。ありきたりな答えは世の中に溢れていますがAZKiさんは自ら葛藤することで答えを出した。では、次はAZKiさん自身の挑戦が『without U』で見れるのかなと。楽しみです。

AZKiさんの白黒を振り返って

 いやぁ、めちゃくちゃ書きましたね。もうちょっとそつなく当たり障りないこと書くかなと思ってたんですけど。それだけAZKiさんの持つエネルギーが凄まじいということでしょう。文量的に白黒のところで切ってますが、without Uの曲も振り返りたいと思っているので俄然楽しみになってきました。おそらく、コーナーとしての紹介ではなく、他の曲と合わせての振り返りとなりますがばっちり読んでいこうと思います。

 さて、今回は長くなったのでここは短めで。次回は久しぶりのごった煮回です。それでは今回もお付き合いありがとうございました。


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