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榊原紘『悪友』デジタル栞文-vol.1-

「遠泳」同人の榊原紘の第一歌集『悪友』(書肆侃侃房)が刊行されます。今日から毎週一回、「遠泳」メンバーがリレー方式で歌集についてnoteを更新していきます。第一回目は笠木拓が担当です。

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第一回:光速でひかりは届く

スプーンを洗えば水の弧に濡れる 生きてって言いたいよいつでも  榊原紘『悪友』

 景はすぐに、鮮明に思い描ける。でも、ほんとうはスプーンはあらかじめ弧のかたちをしていた水に濡れるのではない。落ちる水がスプーンにふれることで弧を描くのだから、厳密には時間と因果の前後が逆だと言える。だからすこしねじれて不思議なはずなのだけれど、水が弧に〈なる〉ことと、あたかも初めから水が弧で〈あった〉こととが交錯する一瞬の魔術に、すっと感覚は納得させられる。〈生きてって言うよ〉とは宣言できない歯がゆさと、それでも〈言いたい〉強い思いを、一瞬の魔術に託す祈りの歌だ。

 榊原さんはつねづね、「移動時間は短ければ短いほど良い」と言う。じっさい榊原さんはいつもぱっと目の前に現れる。昨年末などは、京都での飲みのためだけに帰省先の愛知から新幹線で飛んできて、数時間いて、飛んで帰った。僕なんかは、乗り物に乗るのはぼーっとする時間のためだと思っている節があり、その点でわりかし趣味が合わない。
 けれどたぶん、効率重視かどうか、みたいな話じゃなく、榊原さんは目的地に至る・届くことについて突き詰めて考え、価値観の中心に据えているのではないか。

悪友の悪の部分として舌が西陽の及ぶ部屋でひかった

友がどんな言葉を発したのかは書かれていない。その瞬間、音よりも意味よりも映像として、舌がきらきらと光る。目にその光景を焼き付けさせたのは、彼方からこの部屋へ「及ぶ」西陽なのだ。永遠に静止したかに思える一瞬を射抜く西陽が、いまここという最果てへ届く、その光速。

最果てが僕の背中であることに燈るコンビニ 鮮やかすぎる

 ところで、榊原さんの推しの一人に、アニメ「プリティーリズム」シリーズの仁科カヅキがいる。歌集を読みながら、なぜか頭をよぎったのは、彼の持ち歌の次の部分だった。

人生は苦しいFREEDOM
人生は楽しいFREEDOM
仁科カヅキ(増田俊樹)「FREEDOM」/作詞:三重野瞳

 榊原さんが「人生は苦しい」みたいな表情をしているところを、僕は見たことがない(たんに先輩相手だから見せていないだけかもしれない)。短歌を読んでも、わかりやすく劇的な恨み節はない。でも、だからこそ、かえってその裏側に高密度でひしめく苦しみを、無声映画のなかの嵐のように、見て取ってしまう感覚があった。そんなわけで、あとがきに「怒る」「憎む」「復讐心」という言葉をみつけても、意外というかんじはしなかった。
 仁科カヅキはつづけてこう歌う――〈ガラクタでステージをshow up 組み上げろ〉。自らの原点に立ち返って挑んだ集大成のプリズムキングカップで、この歌を歌いながら、彼は勇者の大剣に乗って宙をサーフする。足下の不安定さを逆手に取って、一途に飛ぶ。その姿が、『悪友』の集中になんどかあらわれる、たとえば〈舟〉のモチーフにも重なって見える。

 勇気の足下はきっといつもあやふやで、勇気はいつだって速い。光ほどにも。

黎明の荒野をすこし離れても共に歩いていた 知っている
夕陽ならここで光ってみせるだろう風を追いつつ橋わたるとき
夢でいい。雪の積もった公園を駆けていこうよ冬の夢では
立ちながら靴を履くときやや泳ぐその手のいっときの岸になる

 榊原さんの足どりは、自分が歩いたところが一瞬だけの道に、橋に、岸になることを、ぎりぎりで信じている人の足どりなのだ。
 その歩みが、あなたの心にも届くことを願う。


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