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自分の大切な人について話すこと、なんだか恥ずかしいのはなぜだろう/あなたの1番大切な人について書く

こんにちは、ナガセヤスユキです。
#1か月書くチャレンジ 16日目となります。

今回のテーマは「あなたの1番大切な人」です。

難関です。考えるのも、1番を決めるのも、それをまとめて公表するのも…大変です。勇気が必要です。私にとっては。

なぜ”大切な人”を公表することを「恥ずかしい」と思うのか?

この人を大切にしています!」と発信するのって、良いことですよね。少なくとも悪いことではないのかなと。…異常な偏愛だった場合は別として。

そんな風に、自分のポジティブな意志、価値観を示すのってむしろかっこいい気がするんですけど…なんだか恥ずかしくて言えない。これはなんでなんだろう。

私だけの感覚ですかね?

陶酔感がアカンのか?

ここからは穿った見方を続けて書くのですが、誰かを貶めたいとか、そういった意図は決してありません。書いていく中で、自分の気持ちを整理したいだけなのです。石は投げないで。


まず思ったのは、「ある人を大切にしている自分」に酔っている感じを想起しているからなのか?…ということでした。

例えば、「親が1番大切です!」と言っている”親孝行な自分”が気持ち良かったり、「日々接するお客様が1番大切!」と言う”仕事が最高な自分”を作り上げてみたり、という感覚です。

そんな風に、奥底に自己愛が見え隠れする状態(自己陶酔感)を他人に感じさせる…というひねくれたイメージが、羞恥をもたらすのでしょうか。

いじられてしまうという危機感?

子どもの頃って、「好きな人からかい」がなかったですかね。
特に思春期。

大人になった今、そんなことはほとんどないのに、良い悪いは置いといて…ネタにされるのが嫌なのかな。

なんか言いにくいってのはありますね。幻影に言葉を封じられている感じ。

それっぽい理由はいくらでも

上記に挙げた以外にも、なんか恥ずかしい、そして明言できない理由はいくらでも考えつきそうですよね。

もしかしたら、そこまで考えられていない状態を誤魔化すために明言しない、そのために羞恥という感情を生み出しているのかな。

…という意味ありげな言葉を使ってみます。
結局そんなにまとまっていませんね。

今は結局、自分が1番大切

御託を並べましたが、今1番大切なのは自分かな、と思います。

なんだよ結局自分かい、と思われるかもしれませんが、実は今後の人生の変化を予期している状態なんですね。だからこそ自分を大切にしていきたいというか。

今後、もし結婚したり、さらには子供が生まれたりしたら、その時の「1番大切な人」は自分ではなくなると思います。これはきっと。でもそうなるまでは、時間やお金といったリソースを配分するのは自分最優先にしていきたいな、と思ったんです。

そうして自分を磨いていったら、1番大切な人が自分でなくなっても、その人のためにできることが増えていくのではないかと。そんなイメージがあるんですね。

だからこそ今は、大切なのは自分です。
…うん、そうですね。自分だと思います。

今後は変わっていくのだと思います。きっと、たぶん…。


グダってしまいました。
ただ、これがありのままかなとも思います。

将来、こんなテーマをスパッと言い切れる人間になりたいなと思いました、書いていて。

とりあえず、これで締めます!

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