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今の時代のリーダーシップ論その1~リーダー=貧乏くじ?~

リーダーって貧乏くじ?

私は仕事柄、十代の若い人たちと話をすることが多いのだが、彼らの言動を見ていると、リーダーなんて誰もなりたがっていないということがはっきりとわかる。

中には50人に一人くらいの割合で、率先してリーダー職に就きたがる者はいるが、自分も集団もメタな視点で見る力はなく、ただの目立ちたがりか仲間とワイワイやることが好きなだけの者がほとんどで、無計画、無責任。たいてい失敗に終わる。

失敗していることにすら気づいてないことがほとんどだ。

たま~に能力のある者がリーダー職に就くこともあるが、一期でやめてしまう。

若者が役職に就きたがらない、能力ある者こそリーダー職を避けるという現象は、わりと一般的なのではないだろうか。

なぜこんなことが起こるのだろう?

基本的に今の若い人にとってリーダー職は貧乏くじである。
責任を負わなければならないし、
文句しか言わない人たちをなだめおだてて指示を出さなければならないし、
無責任なメンバーの失態の尻拭いをしなければならないし、
自分のせいではないミスを注意されたりする。

役職に就かない限りこの全ての煩わしさからは自由でいられる。
自分の利益を第一優先に考えるなら、地位や名声、お金に興味がない限りは、リーダーなんてやりたくないだろう。

まぁよく考えれば納得だ。

というか日本社会に「あの人はリーダーになってよかったね」と誉め称えられるモデルが存在するだろうか?

政治家になれば発言の一つ一つが揚げ足をとられ、金持ちになればひがまれ、有名人になれば追っかけ回され炎上のネタを探される。

そりゃ若者もリーダーになんかなりたくなくなるに決まっている。
彼らは社会から正しく学習したに過ぎない。

令和のミッションインポッシブル

そんな中、私は14~18歳の学生対象のとあるプログラムで、リーダーシップを彼らに教えなければならなくなってしまった…。

聞き取りをして見ると、案の定彼らにとってリーダー職は「貧乏くじ」なのだそう。

確かに学校社会における役職も、さっき並べたこととほぼ一緒で

先生と生徒との板挟みになり、

他の生徒は基本的にやる気がなく非協力的で、

やたらとミーティングで時間がとられ、

他の生徒の失態のせいで自分が怒られ、

頑張っても「内申点稼ぎ」だの「いい子ぶってる」だの、文句を言う以外なにもしない奴らに陰口を叩かれ、

しかも何も報酬がないと来れば、それは100%純粋に「貧乏くじ」だと思う。

彼らのリーダーの選び方がそれを物語っている。

まず立候補を募り、10分間の完全な沈黙の後、「推薦」と言う名の押し付けあいがはじまる。

さっきまで涅槃の境地のような完全なる静寂を見せてくれた彼らが、今度はポリスにおけるアテナイの市民よろしく雄弁に自分以外に貧乏くじを押し付け始める。

で、大衆から引きずり出された候補者に対して「多数決」なる儀式が行われ、生け贄の子羊が選ばれる。ユダヤ州総督のポンテオ・ピラトでももはやこの哀れなる子羊を救うことあたわず。アーメン…。

立候補やら推薦やら多数決やら、一応民主主義の体を採っているのを観察するに、戦後の民主主義教育の片鱗を垣間見ることができて興味深い。

(全然関係ないが、このような学校独自の「民主主義風」文化を、私は「学校民主主義」と呼んでいる。生徒会選挙や生徒総会に始まり、教員と生徒を同列に扱おうとする言説や、教育効果完全無視の子供に阿った校則批判など広くカバーする言葉だが、それはまた別のお話…)

斯くして負け戦確定の令和のリーダー教育奮闘記がここに始まるわけだが、長くなってきたのでとりあえずその1はここに閉じる。

ただのボヤキになってしまった…ごめんなさい。


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