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今の時代のリーダーシップ論その3~「知識」という爆薬~

前回のおさらい

役職に全く興味のない令和の十代に、リーダシップを身に着けさせるというミッションインポッシブルに挑戦すべく、前回私はとりあえず目標を設定した。

学校という社会の中ではリーダーにならなくてよい。いずれ社会に出たときに発揮される本物のリーダーシップを養おう!というのが(現段階ではかなり抽象的であるが)とりあえずの目標だ。

私はとりあえず、彼らに知識を身に着けさせることを最初の課題とした。

なぜなら「知ってしまった人は、動かざるを得ない」と私は信じているからだ。

まず彼らにリーダーとしての自発性は全く期待できない。金を積まれても、名誉が用意されていても、テコでもなんでも、とにかく他人(全体)のためになんか働きたくない!と考えている集団だ。

そんな彼らに外から「全体のために自分の能力を発揮しましょう」といくらお題目を唱えたところで響かないのなら、彼らの内発的動機付けを刺激するしかない。

一見死んでしまったような内発的動機とやらに火をつける最高の火種が、「知識」である。

「知ってしまった人は動かざるを得ない」作戦

さて、私は「昭和50年製 量産型サラリーマン」を自称するだけあって、凡人中の凡人だ。

「人のために云々」という崇高な生き方には感動をするが、いざそれを自分もとなると、「自分の家族さえ守れればそれでええじゃあないか。凡人だもの。」というフェーズで止まってしまう小市民だ。

こんな私でも、ウクライナの惨状を知ってしまえばコツコツ募金活動に参加したりする。

こんな私でも、学生時代に岩波文庫の「スッタニパータ」(最古の仏典の一つ)を読めば、ネパール~インドへ一人旅に行き釈尊の生涯に思いをはせ、インドの孤児院でボランティアをやってしまったりもする。

こんな私でも、知り合いの医者(当時研修医)から大阪の西成区の衛生状況を聞かされれば、西成の無料結核検査のボランティアに参加してしまったりもする。

2駅分だけの電車でも迷わず座席に座るケチでスケールの小さい小市民の私だが、「知ってしまった」がために、通天閣の麓からインドの辺鄙な村の孤児院まであらゆるところに足を運ぶことになった。

そう「知識」とは、恐ろしい爆発力を秘めた内発的動機刺激剤なのだ。あまりに分が悪いこの戦いで、一縷の勝機を掴むための強力な武器となってくれるだろう。

何を知るべきか

じゃあ彼らは何を知るべきなのか。これが難しいところだ。条件としては、

・彼らにとって身近で
・彼らが興味を持てて
・彼らが実感することができて
・彼らが当事者意識を持つことができて
・現代社会に精通しており
・彼らの人生においてある程度切実な問題であり
・わかりやすい

といったところだろうか。
ということで次回はテーマ選定の話をしよう。ってこれ誰に言ってるんだろう(笑)まぁ自分自身に言っているのでしょう。

読んでくださった方は本当にありがとうございます。

長くなってきたのでとりあえず今日は以上です。


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