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発達障害 ≒ 異文化?その2完 ~異文化コミュニケーションから考える発達障害~

発達障害≒異文化?

(ここから語る発達障害の特性は、日常のコミュニケーションにやや難があるケースに特定する。)

さて、大分話がそれてしまったが、私が前回紹介した「僕らの中の発達障害」(ちくまプリマー新書)の中で特に興味深かったのは、発達障害を「文化の違い」として解釈する視点だ。

この視点は、職業柄海外の人と日常的にコミュニケーションを取る私としては、途轍もなくしっくり来た。

文化の違う人々と会話をすると、言っていることが理解できていてもどう反応したらいいかわからないため、フリーズするか、見当違いのリアクションを返して場が凍りつくことがよくある。

例えば知り合いに道で遭遇したときにWhat's up?やHow's it going?などと聞かれると、最初はなんと答えればいいのかわからなかった。

そのような場面での決まり文句を学習した後でも、かなり違和感を残しつつ返答していた(いる)。

何を期待されているのかがわからない

ぎこちない返答になってしまう原因は、突き詰めれば「なぜそんなことを聞いてくるのかがわからないから」である。

「なぜ私にまつわる諸現象(it)がうまく行っているかどうかを聞いてくるのだろう?」「なぜ私の近況や今後の予定を聞いてくるのだろう?」と考えてしまい、返答がぎこちなくなる。

①何を期待されているのかが全くわからない。→フリーズ
②期待されている反応は知ってはいるが、感覚的に理解・納得はできない。でも要求されているリアクションは形式的には返せる。

この言語学習者あるあるを、発達障害の理解に無理やり当てはめると、

恐らく①が発達障害を持つ子供のリアクション、②が青年から大人のリアクションに近いのではないだろうか。

アメリカンジョークは意地が悪い?

異文化間のミスコミュニケーションでよく取り上げられる例に、「ジョーク」がある。

例えば私のアメリカ人の友人はよく冗談で「皮肉」を言う。アメリカに行って気づいたのだが、彼らにとっての皮肉とは、日本人サラリーマンにとっての「自虐ネタ」「カミさんネタ」のように、かなり典型的な笑いの取り方だ。

相手が留学生だろうが英語が苦手だろうがお構いなしに皮肉をかましまくってくる。

私もよく言い間違えや、不自然な単語の使い方などの揚げ足をとられて皮肉を言われた。

例えば私が「俺の国では…」と言えば、友人は「お前が国を持ってるとは知らなかったよ」と横やりを入れてきたりといったやり取りだ(これ皮肉かな??)。

悪意があるわけではなく、彼らからすると言葉遊びのようなものなのだが(または友人間の軽いコント的な感じか?)、シンプルに腹が立つ。

「だからアメリカ人はものを知らないと言われるんだ。地理と世界史を勉強し直した方がいい」のように、話にあえて乗って皮肉で返すことが期待されているリアクションなのだろうが、こちらはただでさえ外国語で頭を使いながら一生懸命会話をしているのに、つまらない揚げ足をとられると、殺意がわいてくる。

事実、異文化コミュニケーションのいろはを知らない日本人からしたら、私の友人はただの嫌なやつだし、留学初期はこのようなミスコミュニケーションが重なり、仲良くなるのをやめたアメリカ人は多い(本当に嫌なやつもいた気がするが)。

ポイントは【冗談だとわかっているのに腹が立つ】という点だ。ルールは「知ってはいる」が、「納得できない」ままゲームが進められていく感覚というか。

このミスコミュニケーションは、発達障害者が日常会話の中でで経験する「すれ違い」に近いのではないだろうか。

発達障害のひとつの特性に相手のいっていることを字面通りに受けとるというのがあり、その結果対人トラブルに発展するというケースがある。

このような状態は、異文化コミュニケーションでよく生じる「すれ違い」とかなり感覚が似ているような気がするのだ。

・相手の発言を字面通り受け取っていいのか判断が難しい
・何を期待されているのかがわかりづらい
・染み付いた価値観を意図的に修正・調整するのはほぼ不可能(皮肉は日本人にとってはあまり一般的な冗談ではない)
・マジョリティ対個人(私)という構図
・コミュニケーションに莫大なエネルギーを使う
・相手は自分と同じ価値観をこっちと共有していると思い込んでいる

など、両コミュニケーションにはやはり共通点がかなり多い気がする。

まとめ

とはいえ頭の中で起きていることだし、感覚的なことなので、当事者にとって本当に両者が似ているのか否かは正直わからない。というか証明できないので、以上長々と話してきたことは本当に申し訳ないがただの私の放言の域を出ない…。

東田直樹さんらの著書を読みあさって、当事者の証言を謙虚に積み上げていって、自分の中でイメージを作っていくしかないだろう。

今後も発達障害に関しては可能な限り調べていこうと思う。高い確率でそれが人間理解、自己理解にすら大きく貢献してくれそうな気がする。

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