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原因は「恐怖」かも知れません。

このnoteでは自分では分からない謎のモヤモヤの正体の可能性を探っていくものです。

さて、本題に入りましょう。人間は社会の中で生きる生き物です。原始においては社会から外れることは死に直結することですのでそれは恐怖として本能に刻まれていたとしても不思議はありません。誰でも無意識にその恐怖から逃れるための自衛の手段を用いているのです。もちろん、そのこと自体は正常なことで全く問題ないことなのですが、もし、自分の感じた恐怖が事実と異なることあったらどうでしょうか?本当は存在しないのに何かのきっかえで恐怖を感じてしまい、それに対して自衛の策を講じてしまうとそれは問題ですね。本能には死に直結した恐怖として刻まれているのならそれを回避するための自衛の手段もそれなりに強力なものになり、自分か相手かのどちらかを傷つける方向に動いてしまう事例をよく耳にします。自分に向いた場合は自分は無価値であると言い聞かせることで、疎外されることが当たり前であると認識することで安心を求めるのです。相手に向く場合には「相手に問題があるから自分から離れる」と思うことで安心を求めます。

見捨てられ不安

見捨てられ不安というのがあります。見捨てられることは本能に刻まれたかなり強力な恐怖です。その恐怖からは誰も逃れられないので、人間は無意識に自分をだますのです。相手から拒絶されるのは耐え難いので、自分から去ったというように置き換えるのです。ある人は他人との関りを普段から希薄にすることで希薄な人間関係を「自分で選んだ」ことと考えます。またある人は誰かに距離を置かれる前に自分から離れることで「自分で選んだ」ことと考えます。またさらにある人は人間嫌いを公言したりしますが生まれたばかりの新生児が今まで誰の世話にもならずに一人で大人に育ったということはあり得ません。生きるために他者との関りは避けられないのですが、やはり「自分で選んだ」結果という事で安心を求めます。自分で選んだ結果であり実害もなければほとんどの場合はなんの問題もありませんが、自分で選んだのでなければ心穏やかにはいられません。急に仲の良かった友達から無視されるようになった。周囲の目が冷たいような気がするなどなかなかにキツいものがありますね。それでも原因が分かっていれば堪えられそうですが原因不明だと非常に苦しいことでしょう。

疑心暗鬼を生ず

原因不明の無視や冷たい視線についてあれこれと考えを巡らせて理由探しをしてしまいます。原因が分かれば対応の仕方もあるのでそれを探るのは本能が求める極めて自然で重要なことです。本能は危機への対応を優先するようにできています。それは生きて行く為に重要だからです。そのため、無視や冷たい視線についても「危機的状況ではないか?」という想定から考えが始まり、「危機である」という答えに向かって考えがどんどん進んでいきます。自分の頭で考える限りこの悪循環からは逃れられません。「なぜ?」と「本当にそうなのか?」の答えは自分の頭の中にはないのです。考えるのではなく確かな情報を集めて自分の主観がはいらないように論理的に整理することが必要です。

自分の方から切ってやったんだ!と、思いたい。思わせたい。

人が去っていくのは恐怖です。人から批判されたり疎外されたいすることも恐怖です。自分のメンタルヘルスのためにこの恐怖を軽減するために誰でも無意識に行っているのが前述したように「自分が決めた」と思うようにすることです。自分でもそう思いたいし、他人からもそう思われたいのです。誰でもそうです。人間の設計図にそうするように書いてあるのです。しかし、よく考えてみるとその対応は危険をはらんでいます。自分を守るために原因を外側に作り出してしまうのです。「あの人(あの組織等)に原因があるから自分から切った」と思いたいがために相手を悪く言ってしまう可能性があります。他人からも「自分の方から切ったんだ」と思われたい心理が働けば周囲にも「あの人(あの組織等)に原因があるから自分から切った」と言ってしまうかもしれません。でも、もし、勘違いだったら・・・・。

多くの悩みは恐怖から来る

人は誰でも自分には価値があると認められたいものです。承認欲求というあれです。誰からも認められる必要とされていないかもしれないとチラッとでも感じると大変なストレスを感じます。それは「社会からの排除」の可能性を本能が過剰に感じ取っているからでしょう。本能に刻まれた恐怖と向き合うことは大変な精神力を必要とすることですが、恐怖に負けない意識を持ちたいものです。インターネットの誹謗中傷なども承認欲求やある程度の賛同の声を得ることで孤独感を薄めたり、自分が孤立していてもそのことの理由として自分をダークヒーローのように振舞うことで納得させる手段となり得るのでしょう。

本能の制御

本能は誰でもあります。悪いことではありません。しかし、空腹だからと飲食店に襲撃したりすることは許されません。理性で制御可能なものなのです。暴走しそうになったら少し落ち着いてみてもよいでしょう。

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