ザ・バンドの「Rag Mama Rag」は、ジャニス・ジョプリンを歌った曲ではないかというこれだけの理由
ザ・バンドのセカンドアルバム『The Band』(1969年発表、通称「ブラウンアルバム」)に収められている彼らの代表曲のひとつ「Rag Mama Rag」に関してある発見をした。この曲で「Mama」と歌われている女性のモデルは、ジャニス・ジョプリンではないかという発見だ。公知の事実であれば「発見」とは言えないが、海外のサイトも含めて一通り検索してみてもこの曲とジャニスの因果関係について言及した情報は見つけられなかった。そんなわけで、自分としては大きな「発見」と思えるこの推論について、その論拠を述べたい。
きっかけはエリック・アンダースンの曲
この説に至ったきっかけは、先日、Noteで拝読した「【Blue River】(1972) Eric Andersen 不運のシンガー エリック・アンダースンの名作」という記事だった。その記事では、エリック・アンダースンのアルバム『Blue River』(1972年)の2曲目「Pearl's Goodtime Blues」がジャニス・ジョプリンに捧げた曲であると紹介されていた。そのことはタイトルからしても明らかなのだが(「Pearl」はジャニス・ジョプリンの愛称であり、彼女のラストアルバムのタイトル)、今までそのように意識して聞いたことがなかったので、改めてその曲の歌詞をよく見てみた。
エリック・アンダースンは60年代半ばからグリニッジヴィレッジで活動していたシンガーソングライターで、ボブ・ディランと同世代。ディランのマネージャー、アルバート・グロスマンとも近かったと思われる。そんな関係からか、1970年にグロスマン傘下のアーティストたち(ザ・バンド、イアン&シルヴィア、ジャニス・ジョプリン)がこぞって参加したカナダ横断列車ツアー「Festival Express」(1970年6〜7月)にも参加(他に、グレイトフルデッドやデラニー&ボニー、フライング・ブリトー・ブラザーズ、バディ・ガイなども参加)。そんなこともあって、アンダースンはフェスティバルの数カ月後(1970年10月)に急死したジャニスの強烈な印象をこの曲で表現したと思われる。
この「Pearl's Goodtime Blues」の歌詞を見ていて、あるフレーズが引っかかった。サビの部分に出てくる「Won't you rag, Mamma, rag」という一節だ。それは、ほぼそのままザ・バンドの曲のタイトルだった。アンダースンのこの曲が発表されたのは1972年、ザ・バンドの「Rag Mama Rag」は1969年なので、アンダースンは、ザ・バンドの曲を当然知っていたはずだ。いや、単に「知っていた」というよりも、NY〜ウッドストックの音楽コミュニティにいたアンダースンは、ある程度、間近にその曲の成り立ちを見ていた可能性すらある。「Rag Mama Rag」はジョプリンのことではないかと思った私は、早速、Googleで「Rag Mama Rag Janis Joplin」と検索してみた。
「Rag Mama Rag」の歌詞についての通説
調べてみると、ウィキペディア(英語版)には「Rag Mama Rag」の歌詞について次のような記載があった。
このほか、ウィキペディアには、ニューオリンズの売春宿を思わせる女好きな男の歌だとか、自分の女を思うようにできない田舎者の歌だといった評論家の論評が紹介されていたが、ジャニスとの関係を示唆する内容はなかった。一方、「Old Time Music」「Songfacts」といったサイトには、それぞれ次のような紹介がなされていた。
ロビー・ロバートソン自身がいつどういうメディアに上のような話を語ったのか定かではないが、歌詞を見る限り「Old Time Music」で書かれているような切実な響きは、ほとんど感じられない。同じアルバムに収録されている「The Night They Drove Old Dixie Down」の場合は、南北戦争時代の南部の労働者の切実な思いが具体的な物語として描かれているが、「Rag Mama Rag」の場合は、曲調からしても、そこまでの切実さは感じられない。ウィキペディアで紹介されている解釈の方がまだ納得できる。
タイトルの「Rag」がラグタイムを指していることは、この曲のピアノ(ガース・ハドソンが弾いている)からも明らかだろう。ラグタイムは、シンコペーションを強調した、ジャズの前身とも言える南部黒人ルーツのピアノ音楽だ。1997年に発表されたビデオシリーズ『Classic Albums』のエピソードでは、ロビー・ロバートソンが「アルバムを作っているうちにそれが古き良きアメリカを象徴するようなものになっていった」という主旨の発言をしていたと記憶しているが、この曲にもアメリカ南部の雰囲気を纏わせようとしたのだろう。曲のタイトルとなっているフレーズ「Rag Mama Rag」をそのまま訳せば、「ママ、ラグしてくれ」となる。「rag」には「ボロボロにする」「ガミガミ言う」という意味合いもあるが、曲調も踏まえて素直に解釈すれば、直接的にはラグタイムのことを指していると考えるのが妥当だろう。この場合の「Mama」は、母親ではなく、親しい恋人や奥さんに対する呼びかけの言葉だ。日本の男性が言うとすれば、「お前」とか「よぉ」「なぁ」という感じだろうか。
実は「Rag Mama Rag」には、古い同名異曲がある。ブラインド・ボーイ・フラーという、南部ノースキャロライナ出身の盲目の黒人の曲で1935年に録音されている。この当時ギターを手にブルースをやっていた黒人には盲目の人が多いが、フラーもご多分にもれず、カントリーブルースやラグタイムをやっていた。有山じゅんじあたりが演りそうなこの曲の歌詞は、それこそ女好きの男の戯言といった感じだ。サビの「Rag, rag now, rag, baby. Rag, mama, said do that rag」(さあ、ラグしてくれ、あのラグをやってくれ)という部分も、単に曲調に合わせて調子のいい合いの手を入れる感じで作ったのかもしれないが、セックスを意味する隠語とも考えられる。
ロビー・ロバートソンが南部のルーラルブルースに通じていたことを考えれば、当然この曲を知っていただろうし、単純にこの戦前のラグタイムソングからタイトルを拝借しただけと考えても不思議はない。恐らくは、このフレーズがまず頭にあって、そこからイメージを膨らませていったのだろう。
ジャニスを思わせるいくつかのキーフレーズ
そもそもロビー・ロバートソンが書いたとされるザ・バンドの楽曲には、多くの場合、さほど深いメッセージ性は感じられない。一見深淵なメッセージを秘めているように思える「The Weight」にしても、韻を踏みながら言葉を繋げていった結果、あのような歌詞になったと思われる。「The Weight」に登場するAnna Lee、Old Luke、Crazy Chesterといったキャラクターは、ザ・バンドの周辺にいた知り合いたちの名前だということが、リヴォン・ヘルムの自伝にも記されていた。この時期のロビー・ロバートソンは、曲作りに関してボブ・ディランから多くを吸収していたはずで、ディランのように即興的に押韻しながら言葉を並べていった結果、あのような歌詞になったと考えても不思議はないだろう。「Rag Mama Rag」に関しても、明確なメッセージを持って書いたというよりは、漠然としたイメージや曲調に基づいて思い付いた言葉を繋いでいった結果と見て良いのではないか? たとえば、中程の「Rosin up the bow」(弓に松やにを塗ってくれ)というフレーズは、その前の「There's nowhere to go」と韻を踏ませつつ、その後のケイジャン風味のフィドル(バイオリン)ソロに繋げるというノリから出来たように感じる。
ただ、ジャニス・ジョプリンのことを考えながらこの曲の歌詞を改めて見たとき、ピンと来るフレーズ(言い回し)がいくつかあった。ひとつ目は、中盤の歌詞「I ask about your turtle」(俺は、お前のタートルについて尋ねる)だ。そこから想起されるのは、ジャニス・ジョプリンを一躍スターダムに押し上げたアルバム『Cheap Thrills』の中のジャニスの自作曲「Turtle Blues」だ。自分を臆病な亀に喩えたその曲は、(堀ちえみではないが)周りにいじめられ、鬱屈した少女時代を過ごした、ジャニスの当時の心情を吐露するようなブルースソングだった。そして、擬似ライブであるこの曲でピアノを弾いていたのは、ザ・バンドの1枚目と2枚目のプロデューサーでもある、ジョン・サイモンだ。
ふたつ目のキーフレーズは、後半の歌詞に出てくる「The bourbon is a hundred proof」(バーボンは100%純正)だ。ジャニスは、バーボンベースのリキュール「サザンカンフォート」を愛飲していたことで知られている。(酔っ払ってしつこく絡んでくるジム・モリソンの頭をサザンカンフォートの瓶で殴ったというのは有名な話) サザンカンフォートはリキュールなので「100%純正」のバーボンでないわけだが、「proof」という言葉で韻を踏みたかったにせよ、関係が悪化していると思える相手の女性に対して、主人公が「バーボンは純正だ」と言っているところが引っかかる。
深読みすれば、気になるフレーズはまだある。たとえば、フィドル間奏の後の歌詞。そこでは、「Where do ya roam? Bring your skinny little body back home」(どこをうろついてるんだ? お前のやせ細った小さな体を家に連れて帰るんだ)、「It's dog eat dog and cat eat mouse」(食うか食われるかの世界だぞ)と歌われる。この曲が録音されたのは1969年の春頃。一方、ジャニスは68年12月までにビッグブラザー&ホールディングカンパニーを正式に抜けているが、自身のバンド「コズミックブルーズバンド」を持つ69年の初め頃には、1日に200ドル相当以上のヘロインを摂取していたという。『Cheap Thrills』(1968年)のヒットで、過酷なショービジネスの世界に晒されることになっていった彼女の健康が蝕まれていったのは、想像に難くない。
最後の方の「We don't need to sit and brag」(座って自慢話なんてしなくていい)というフレーズもジャニスを彷彿させる。彼女のインタビュー映像などを見ていると、仲間やインタビュアーといるときは、やけに調子良く大きな声で話している姿が印象的だ(それは、彼女本来の寂しがり屋の性格の裏返しだと考えられる)。「無理して調子のいいふりなんかしないで、お前の本当に好きなラグタイム(カントリーブルース)を歌ってくれ」──そんなふうに聞こえてくるのだ。
前述のように「Rag Mama Rag」というフレーズ自体はブラインド・ボーイ・フラーの曲から取ったと考えるのが自然なので、恐らくこじつけになってしまうが、「Mama」という言葉にもジャニスを想起させるものがある。モンタレーポップフェスティバルで歌ったことで、ジャニスの名を一躍有名にした曲「Ball and Chain」は、元々ビッグ・"ママ"・ソートンの曲。アルバム『The Band』と同年に発表された、ジャニスの事実上最初のソロアルバムのタイトルは『I Got Dem Ol' Kozmic Blues Again Mama!』、そして、ザ・バンドと行動を共にした「Festival Express」ツアーでお披露目した、当時未発表だった曲のタイトルは「Tell Mama」(この場合、「あたいに言ってごらん」といったニュアンス)だ。
「Rag Mama Rag」の歌詞(和訳)
そういったことも踏まえて、改めてザ・バンドの「Rag Mama Rag」を聞くと、今まで見えてこなかった風景が垣間見れるような気がする。
かつて読んだリヴォン・ヘルムの自伝にこの曲の歌詞に関するエピソードはなかったし、数年前に出たロビー・ロバートソンの自伝は未読だが、私の推論としてはこうだ。
最初にブラインド・ボーイ・フラーの曲のタイトルからインスピレーションを得たロビーが、自身と同じように黒人のルーラルブルースに影響を受けていたジャニスを曲の中の女性(ママ)に重ねた。ジャニスはまさに「sex, drugs, and rock'n' roll」を地で行っていたような女性であり、当時のジャニスの状態については、ロビーもジョン・サイモンあたりからよく聞いていたため、それが曲の中の女性の描写につながった。
ちなみに、ジャニスは戦前の黒人ブルース歌手ベッシー・スミスから大きな影響を受けていたが、「Rag Mama Rag」と同じ頃、ロビー・ロバートソンはリック・ダンコとの共作で「Bessie Smith」という曲も書いている(ディランとの『The Basement Tapes』(1975年発表)に収められているが、ビックピンク地下室でのセッション(1967年)ではなく、68年暮れ頃の録音という説が有力)。もしかすると、ベッシー・スミス同様、ブラインド・ボーイ・フラーの「Rag Mama Rag」もジャニスのお気に入りだったかもしれない。エリック・アンダースンも含め、「Rag Mama Rag」と言えば、仲間内ではジャニス・ジョプリンのことを指していたのかもしれない。
魏志倭人伝から邪馬台国の位置を紐解くような説かもしれないが、いかがだろうか?
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?