見出し画像

遥か遠い理想の社会

※この記事は2022-11-23に “さくらのブログ” で投稿した記事です。サービス廃止の傾向にあるためnoteへ移行します。

久し振りにブログを書いてみようと思います。
“駆除したら食べる、それが当たり前の社会を作る”

駆除された鹿のことです。
駆除された鹿の90%が廃棄処分されている現状に疑問を抱き、駆除した鹿を食べることが当たり前の社会にしたくて2015年に決意し活動をスタートしました。

↓当時(初めて解体の仕方を教わったときの写真)

村内で罠に掛かった鹿を引き取り、解体法や調理法などを身に付けながら民宿業で資金を貯め、2020年に正式に保健所の許可(食肉処理業&食肉販売業)を取得しました。

活動をスタートしたときに覚悟はしていたんです。
いずれメンタルがやられる。

鹿が罠に掛かったと連絡が入る → 猟銃を担いで現場へ駆け付ける → 急所(首)を撃って直ちに血抜きをする → 持ち帰り首を落とし内臓を出して皮を剥く → 解体する → 残渣を村から借りている山奥の埋設場所へ埋めに行く

この繰り返しが
もう辛くて辛くて、たまらないんです。
もともと動物が好きなので、鹿に銃口向けて引き金を引くなんて出来ない人間なんです。
活動を始めて8年目にしてメンタルが相当やられてます。

どう感情をコントロールしたら良いか分からず絶賛もがいている最中です。
ただ、このままだと精神衛生上良くない方向へどんどん進んでしまうので、何故こんなに辛いのか原因を紐解いてみます。そしてメンタルを正常な状態に戻す糸口を探ってみます。

何故気持ちが沈んでしまうか?

一番の理由は鹿の命を奪うからです。
実際に鹿を殺す当事者として罠に掛かった鹿の目の前に立ったとき、“怖い”、“痛い”、“殺さないで欲しい” という鹿の断末魔の叫びを、もろに浴びます。

事が済んだ後は、先ほど矢印で説明した一連の作業が待っています。

この苦しみから解放されるには、自分で鹿を殺すのをやめる、これが一番の解決法です。
罠を掛けた猟師さんに自分で殺してもらう。
それをうちに持って来てもらい買い取る(希望は1頭1,000円で)。
よし解決した!

と言う訳にも行かないんだよな~・・・

なるべく鹿に恐怖と苦痛を与えずに殺す方法は、少し離れた距離から猟銃で急所(首)を撃つ。
これが現状、私が出している答えです。

“少し離れた距離から” というのは、経験をした方なら分かると思いますが、近付けば近付くほど鹿は怯えます。泣き叫びながら暴れてどうにか逃げようとします。絶対に逃げれないので木に体を打ち付けて転んだり、罠に掛かった足が折れたりします。
多大な恐怖と苦痛を与えることになります。
なので “少し離れた距離” を保つことが重要になります。

猟銃で撃つ弾は必ずスラッグ弾を使います。
猟銃(=散弾銃)というと、散らばる弾しか使えないと思っている人が結構いますが、一発だけ出る弾があります。それをスラッグ弾といいパチンコ玉をもう少し大きくしたくらいのサイズです。
首を撃つので頚椎が粉々に粉砕され神経が麻痺し、その瞬間に体の感覚は無くなっているはずです。
心臓は動いたままなので、その間に血抜きを行い失血死させます。

これが鹿に与える恐怖と苦痛を最小限に抑える今の私が出した答えです。
今後もっと最適な方法が見付かるかもしれませんし、鹿に与える恐怖と苦痛の問題は殺す側として常に意識していないといけません。

じゃあ、その方法で罠を掛けた猟師さんに自分で殺してもらえばいいんじゃないの?
て思いますよね。

猟銃を持っていない猟師さんて結構いるんです。
狩猟免許には罠猟と銃猟とあって、罠猟だけで活動している猟師さん結構います。

じゃあ、猟銃を使わずに自分で殺してもらえばいいんじゃないの?
て思いますよね。

猟銃を使わない殺し方で多いのが、バット等で頭を殴って失神させて血抜きし失血死させる。この方法です。
ということは、バットで殴れる距離まで近付かないといけません。
先程言ったように近付けば近付くほど鹿は怯えます。
そしてバットで殴っても失神しているだけなので痛みを感じる神経は生きたままです。

想像しただけで可哀そうで無理。

猟銃を持っていない猟師さんから連絡が入った場合は、結局、私が猟銃で撃たなければなりません。

“少し離れた距離から猟銃で急所(首)を撃つ”
鹿のことを想って、失敗して急所を外したとか絶対にないように、この方法を徹底する。

鹿に与える恐怖と苦痛を最小限に抑えることが、私自身の苦悩も最小限に抑える方法です。
この結論に行き着きます。

そして、気持ちが沈んでしまう別の原因として、こういうこともあるんです。

一言で言うと “ひたすら孤独”

自分と同じ意識で活動している人が周囲にいません。
活動を始めてからこれまで、何百頭という鹿を自分で殺してきました。
周囲から「鹿をそんなに殺してよく平気だな」みたいなことをたまに言われることがあり、おそらく変態だと思われています。
自分がどういう思いでこの活動をしているのか、説明してもおそらく理解できないと思うので、そういう場面では何も言いません。
普段言えないのでこうやってブログに書いています。

自分がいくら一人で動いたって、全国でみれば駆除した鹿の9割廃棄は変わりません。
自分と同じような意識で取り組む人が日本各地に増えて欲しいです。
鹿を大事に思い、葛藤しながら殺し、美味しい鹿肉として生かし、罪深い苦悩を共有し励ましあい、未来を見据え共に闘える、そういう仲間が増えて欲しい。
スポーツ感覚で鹿を撃って楽しむんじゃなく、ちゃんと鹿の命と真剣に向き合える仲間です。

現状、この罪深い苦悩を一人で抱え込んでしまっています。

自分がこうしてSNSで発信することで一人でも多くの人に思いが届いて欲しい。

“駆除したら食べる、それが当たり前の社会を作る”
これだけ壮大なテーマ、当然、これからの時代を担う若者たちに参入してきてもらわないと実現できません。
そしてそれを加速させるのに必要な一つの要素が “食肉業” という言葉が身にまとっているマイナスのイメージ、これを剥がしていく作業です。

私は保健所の許可を取り鹿肉を販売しているので “食肉業者” になります。
“部落産業” という言葉があります。
ウィキペディアにこう書いてあります。

「部落産業(ぶらくさんぎょう) とは、被差別部落の生業を起源とする産業や被差別部落出身者が多く従事している(と、世間一般でみなされている)産業の事で、食肉業、皮革業、葬儀業、廃棄物処理業、太鼓製造業などの産業をいう。全体的に見て、動物や人間の遺体に関連する産業が多い。」

先日YouTubeで見付けたドキュメンタリーに元気をもらいました。
食肉文化が歴史的に根付いているドイツが舞台だったのですが、そこでは動物を解体できる人間が尊敬されていたんです。食肉マイスターという地位まで確立されていて。
日本で魚を捌くのが上手い寿司職人が尊敬されるのと同じ感覚でした。

今日は話をここで締めたいので、これ以上書きませんが、いずれブログでこれに関しても書きたいと思います。

今日はブログに書いたことで少し気持ちがラクになりました。
こういう内容、読んで不快になる方もいると思いますので自分もなるべく書かないようにしますが、今回はメンタルを立て直す糸口が掴みたくて書かせていただきました。

農家民宿ひがし 公式HP


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?