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ある地名の風景

上連雀の神明様    renjaku-3

以前に、吉祥寺という地名は
江戸時代の明暦の大火によって移住した
本郷の吉祥寺門前の人たちが
住み慣れた場所にちなんで村の名前とした・・
そんなことをお話ししました。

実は、三鷹の上連雀・下連雀という地名も
吉祥寺と同じく、明暦の大火によってこの地へ移住した
神田連雀町の人たちが元の町の名をとって命名した地名でした。

神田連雀町というのは
今の神田須田町や神田淡路町あたりのことで、
総武線の御茶ノ水駅と秋葉原駅の間の
神田川に沿った南側一帯です。

つまり三鷹の“連雀”は、
神田の“連雀”が移動した地名というわけですが、
では、そもそも“連雀”とはどんな意味なのでしょう。

神田連雀町には行商人や香具師が多く住んでいたといいます。
この行商人が荷物を背負う時に使う道具を“連尺”というそうで、
行商人の代名詞でもありました。

背負い籠とか背負子のことですが、
元は幅広の紐のことだといいます。

高崎や川越、愛知の岡崎にも連雀や連尺の地名があり、
やはりこれらも行商人に由来しているそうです。

三鷹の上連雀・下連雀も
土地には無関係だとしても、
行商人に由来する地名だったんです。

しかし、なぜ背負う道具を“れんじゃく”といったのか・・
これには諸説あり、
あちこち売り歩く行商人が渡り鳥のようだったとか
背負った時にわきの下から出る紐が、鳥のレンジャクに似ていたとか・・
(鳥のレンジャクには風切羽の先に赤い突起があるそうです)

つまるところ、鳥のレンジャクが元になってるようです。

では、この鳥をなぜレンジャク=連雀としたのか・・
すみません、これではキリがありませんね(笑)

地名に関係しているあたりでやめておきます。

(東京都三鷹市)

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