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ある地名の風景

片倉の並木   katakura-2

片倉城址公園の北側に
湯殿川に沿って続く並木がありました。

芝生では数人の女子会。
“草上の昼食”かもしれません(笑)

前回からの続きで
なぜここを流れる川が“湯殿”を冠しているのか。

“湯殿”あるいは“殿”という地名が元になっているのかと思いましたが、
どうもそうではなさそうです。

まだまだ調べる余地はあるのですが、
ネットの情報でそれらしいものがひとつ。

これによると、平安時代の終わりごろ、
このあたりに勢力があった横山党という武士団が
朝廷による奥州征伐に参加した際、
山形の湯殿山から大日如来像をたまわり、
地元に大日堂を建てて崇拝したそうです。

その地が川の源流付近だったので
それ以降、この川を湯殿川と呼ぶようになったということでした。

説得力はありますねぇ。案外その通りかもしれません。
当時の人が神仏に帰依する気持ち、
現代人の想像以上のはずですから。

この話が本当なら、結局本家本元の湯殿山が元になっていたわけです。
まさに「地名の移動」です。

片倉といいながら湯殿の話ばかりになってしまいました(笑)

“片倉”という地名は
そのまま考えると、おそらく「片側が崖」という意味だと思います。

たとえば片側が山、片側が平地だと片平や片原、
位置を逆転させると片山などです。

“クラ”は岩場や崖のことだといいます。
鎌倉、玄倉、倉本、大倉、高倉など。

口絵は城址公園の下なのですが、この奥が崖といえば崖です。

片倉城は湯殿川と南を流れる支流に囲まれています。
だから崖はいたる場所にあったはずです。

中世に片倉城ができる前、
まだ手付かずの山のどこかに片側が川か平地、片側が崖・・
そんな場所があったに違いありません。

片倉という地名が記録に現れるのが戦国期だというので、
おそらくそれ以前、一帯が横山党の領地だったことを考えると
当時から使われていた地名かもしれません。

(東京都八王子市)

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