「無敵の人」化を回避するにはどうすればいいか考えてみた
先週、中国・広東省で車の暴走事件が起き、35人が死亡したとのニュースがあった。逮捕された犯人の男の動機はあまり定かではないが、「離婚調停の結果に不満を持った」「離婚後の不動産所有をめぐった争いがあった」というような情報もある。中国では最近同じような事件が頻発していて、その背景には社会への報復があるのではないかという指摘もあるようだ。
僕はこの事件の発生を知ったとき、まず思ったのは、「また『無敵の人』が現れたか・・・」ということだった。「無敵の人」というとどうしても、「独身で財産もなくて冴えない男性」というステレオタイプが染みついてしまっているが、今回の事件については、先ほど言及した動機が確かな情報であれば、財産のある元既婚者でも、きっかけがあればこのような凶行に走ってしまうこともあり得るということだ。
さて、ご承知のとおり、我が国においてもここ何十年ずっと不安定で先の見えない社会情勢が続いており、誰もがどこかで「無敵の人」の起こした事件に巻き込まれるリスクがあるというだけでなく、我々自身が何かをきっかけに「無敵の人」になり得るリスクが(人によって大小はあろうが)潜んでいる。
特に僕のような、「独身で」「一人暮らしで」「人間関係がほとんどなく」「現状に不満がある」「モテない」「アル中の」「男性」というように危険因子を多く持っている人間は、普段からリスク管理をしておかなければいけないと思う。
というわけで今回の記事はその一環として、「無敵の人」にならないためにはどうすればよいのかを考えてみる。僕という人間を題材にして考えていくが、お読みいただいている方も、ぜひご自身の立場に立って考えていただければ幸いである。
「無敵の人」とは誰なのか
まず具体的なことを掘り下げる前に、「無敵の人」とは一体誰のことを指しているのかを確認しておきたい。
有名な話だが、この「無敵の人」という言葉自体は「2ちゃんねる」の創立者であるひろゆきが使い始めたものだとされている。ひろゆきは、2022年に発生した安倍元首相銃撃事件の発生を踏まえた記事において、以下のように語っている。
おそらく、この言葉が生まれた背景には2008年に秋葉原で起きた無差別殺傷事件があったのではないかと推測するが、それから15年あまり、「無敵の人」が起こした事件は枚挙にいとまがない。最近であれば、安倍元首相の事件に加え、京都アニメーションの放火事件、川崎・登戸の無差別殺傷事件や、「ジョーカー」に扮した犯人の仮装も話題となった京王線の乗客殺傷事件を思い浮かべる人も多いだろう。再び上記記事におけるひろゆきの言葉を引用する。
以上、この言葉の生みの親であるひろゆきの発言を見てきたが、自分なりにまとめると、①失うものが何もなく、②他者や社会に対して憎しみや恨みを募らせており、自暴自棄の状態になることが、「無敵の人」が登場する必要条件だといえそうである。
さて、次は僕自身を題材にとって、以上①②の状態を避けるにはどうすればよいのかを考えてみたい。
僕の「無敵の人」化を食い止める3つの要素
先ほど「無敵の人」の必要条件の話をしたが、僕は今のところ、「失うものが何もない」という境地にまでは至っていない。これから紹介する以下3つの要素によって僕の「無敵の人」化は阻止されているということもできる。ただし残念ながら、ふとしたきっかけとか、一瞬の気の緩みとか、時間の経過によって簡単に失われてしまうものでもある。
①両親の存在
前にどこかの記事でも言及したが、僕の親はいわゆる「毒親」ではなく、大学の学費なども含めてちゃんと面倒を見てくれたので、それなりの恩を感じている。だから、親が存命の間は下手なことはできないという意識が強くある。
ただ、両親以外に頼れる人間関係はないため、両親が亡くなった時のショックは大きいだろう。僕は他人と人間関係を構築・維持したり助けを求めたりすることが苦手なので、全くのひとりぼっちになり、何か不安なことがあっても誰にも相談できず、完全に社会から孤立してしまうと思う。
そして、もう両親のようにストッパーの役割をしてくれる存在がいないという状況の中でトラブルが積み重なったりすれば、自暴自棄になってどこかで暴発してしまう可能性がある。
大人になるといつの間にか友達の作り方なんて忘れてしまったし、「人間関係=めんどくさい」という固定観念からなかなか抜け出せないので、自力でつながりを作るのはそう簡単にはいかない。そう思っていたら最近、Xのとあるフォロワーが、(どこまで本気かは知らないが)将来、独身男性のシェアハウスを作りたいと言っていた。
シェアハウスで共同生活とまではいかなくとも、同じ悩みを持つ独身男性同士、助け合い・・・という言葉は多少綺麗事に過ぎるが、少なくとも何かあったら、例えば誰かが病気になったら食べ物や薬を買ってきてもらったりというようなコミュニティがあればすごく助かるし、気が楽になるだろうなと思う。僕のこれから先の人生で、男女問わずそんな風に頼れる人と出会えるかどうかにかかっているのだろう。
②仕事
今の仕事をしていて正直楽しいと思うことはなく、ただ食べていくためだけに毎日会社に行っているし、1日3回は辞めたいと思っている(上半期は耐えず繁忙状態だったので1日30回は思っていた)が、就活で苦労してやっと拾ってもらった会社だ。僕のようなノースキルの事務員が辞めたところで行く場所はなく、路頭に迷うのは目に見えている。
会社員という生き方は、平日5日間それなりの時間を拘束され、業務内容や勤務地、勤務部署やまわりの人間関係に思うように自由が利かない代わりに、それなりの安定が約束される。それは経済的な意味に限らず、「自分は●●社の社員である」というアイデンティティや、曲がりなりにも一応自分は社会活動に参加しており役に立っているのだと意識することができる。
嫌になって辞めようかと何度も考えたことがあるが、新卒の時にメンタルをかなり削られた「就活」はできれば二度とやりたくないし、そもそもわざわざ転職してやりたい仕事もないから、転職活動が失敗に終わるリスクがある。そうなると、会社員としての立場や社会的信用は既にないから、そうなると爆発するにはもってこいの状況を招いてしまうかもしれない。
嫌いな会社に自分の身分を保証してもらっているという何とも皮肉な状態だが、両親と同じく、会社や仕事が僕のストッパー機能を果たしているのは間違いない。やはり無能な僕は今の会社になるべく長く居座り続けることが最適解なのだと思う。
③お金
先ほどの仕事の話とも通じるが、お金が尽きたら死ぬしかない(当たり前の話だ)。誰が養ってくれるでもない。死ぬ前にいっそハデなことをやって自分の存在を世に知らしめてやろう!という半ばヤケの思いつきで本当に何かやらかしてしまわないとも限らない。
別に老後に何千万必要とかいう話を真面目に聞いているわけでもなく、というか長生きするつもりもないしできるとも思っていないが、やっぱり何かあったときに頼れるのはお金だけということもあるので、それなりの蓄えは必要だ。そのためにもキャバクラとか、先月から6年振りに解禁してしまった風俗にハマらないようにしなくては・・・。
憎しみを自分で処理するために
「無敵の人」は、憎しみの感情を他者や社会に対して向ける人なのだと書いたが、憎しみを自己処理できるのであれば、そこまで他人に害を与えずに済む。僕はこれまで、孤独感も仕事のストレスも、たまにはお酒やキャバクラの女の子の力も借りながら、全部1人でどうにかしてきた。お酒が身体に良くないことなんて重々承知だが、他人に迷惑をかけない限りは自分の身をどれだけ自分で損なおうと自由だ。全部自分で責任を取ればよいのだから。
しかし、今は自己処理でなんとかできているからよいが、憎しみの感情が自己処理では抑え切れなくなった時や、自分以外に向いてしまった時が危険なのだ。今でもそんな前触れを感じることがある。
例えば会社帰りに前を歩く幸せそうな手つなぎのカップルに道を塞がれたりすると思わずその間を突っ切って行きたくなるし、スーパーで買い物中に家族連れに軽蔑したような目で見られた時にはすごくイライラする。年を取れば取るほど抱える闇は深くなっており、過去の自分への後悔と憎悪が日々煮えたぎっているのを感じる。鍋の蓋が押さえられなくなるのも時間の問題かもしれない。
今年もマッチングアプリでたくさんの女性から拒絶されたり、すれ違った女子高生からキモいと言われたりした。そんな「イライラ」や「惨めな感情」や「恨みつらみ」が積もり積もった結果、ある時、何かをきっかけに糸が切れてしまいそうだ。
そんなことを阻止するためにも、もっと別の方向にエネルギーを向けることができないか、どこかに昇華できないかを常々考えているが、おそらく、Xでしょうもない愚痴を呟いて毒素を抜いたり、一銭にもならないがこうしてnoteの執筆をしたりという活動がその一環を担っているのだろう。
あとは表現の一手段としてオリジナルの楽曲を作って歌うことをずっと夢見ており、既に何曲か実際の歌詞やコード進行は概ね出来上がっている。特に需要はないと思うが、近日中の公開に向けて準備をしているところだ。
今はそういう意味では良い時代で、僕のようなちっぽけな一般庶民でもSNSをうまく使えば自分の存在をアピールすることができる。そうやって、色んな方法でガス抜きしながら、犯罪を犯すことなく、慎ましく平和に滅びていくこと、それができただけで異常独身男性の生き様としてはそこそこ上出来ではないかと思ったりするのである。(おわり)