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ジャズラノベ「ぼくは恋したことない」試食用サンプル

1.To Kill A Brick

 ぼくを冷たく突き放して、誘い、甘えさせ、熱く燃え滾らせるのが、ジャズだ。ぼくはこの音楽となら、心中したっていい。

 ぼくは改めてスマートフォンの画面にかじりつく。タイムラインに偶然流れてきたwoody showのトランペットがぼくの中に飛び込んできた。瞬間、ぼくはぼく自身の背骨の形を認識した。彼の息が吹き込まれるたびに耳の筋肉が細かく収縮して、甘く痺れる。瞳の中の放射状の虹彩が、トランペットの金色に輝くホーンに吸い込まれて音と混じり合った。

それは、爆発するような鋭さと、スマートなジャブを立て続けに撃たれるようなKill To A Brick で、白いベストを身に纏う誇りたかい黒者は弓のように体を反らせて呼吸が足に現れている。この男は、この音楽こそが、これこそがこの世だと思った。この生ける音楽と息遣いに死は敵わない。喩え、それが死を孕んでいるとしても、だ。

 彼はひとつ、大きく捕鯨のようなアドリブを奏でたあと、後ろをゆっくりと振り返って目配せした。その余裕の色気に、なんでかぼくはクリオネのことを思い出した。あの娘と出会ったのはぼくが十七の夏の終わりだった。彼女は”クリオネ”と呼ぶには申し分ない女だった。

 右手に握った三色ボールペンの頭を押す。シャープペンの芯が顔を出して、思い出した架空の物語を書きつける。

『ぼくは恋したことがない。これは完璧な恋に落ちているということだ。かたちや色、それそのものが存在しなければ壊れることはない。たとえそれが、コップの水、とかじゃなくて感情や記憶であったとしても、だ。ないものはない。そこになければない。形を持たないから完全無欠なのだ。理想の女の子は存在するし、存在しない。完璧だ。だから、恋のことは正直わからない。
 でも、女の子には必ず、その身体に音楽が流れているという。ぼくは今、チェットベイカー の”My ideal”をハミングしている。音楽は、女の子には流れているけど、男の子には流れこんでくる。そして、音楽は常に流れ続けている。この世界にぼくたちがいる限り、怖ろしいほど永い時間が存在する限り、そしてぼくがぼくとしてここにいる限り』

「おい、うるさいぞ」
「え? なんて?」
ジミーが叫んだ。
「おまえうるせえ! 音を下げろ」
ぼくは部屋をいっぱいに満たしている音楽のボリュームを左に回した。ウディ・ショウが吹いてるキル・トゥ・ア・ブリックで、深夜の高速道路でカーチェイスをしてるときみたいな曲だ。したことはないけれど。

 音楽はトランペットの警笛とともに遠くにフェードアウトして行った。部室でふたり、ぼくとジミーはマックブックとウィンドウズを目の前にして画面と睨めっこしたり、たまに見栄を切ったりしていた。とにかく怖い顔をしていたのだ。貧乏揺すりをやめて顔を上げたジミーが大きく伸びをしながらしかめ面をする。

「進まない。進まないのだ、原稿が」
「つまんないよ……」
「詰まらなくなってほしいよ、詰まってるんだから。つまるところ、つまる小説に必要なのは詰まらないことなのだ。うわぁ、違うよ。俺が言いたいのはそんなことじゃない」

ジミーとぼくは椅子をがったんがったん言わせながら鼻の上にシャーペンを置いてどちらが長く落とさずにいられるか勝負しはじめた。口に力が入って震えて、僅差でぼくが負けた。子供じみたゲームは、ジミーがよく勝つ。ジミーは粗忽っぽく見えるけど存外我慢強い。粗忽者がはーっと長いため息をつく。シャーペンを転がす。

「なんか面白いことないかなー」
シャーペンはなかなか転がらない。
「おもしろき こともなき世を おもしろく すみなすものは 心なりけり」
ぼくがジミーの耳元で囁く。
「わかっとるがな」

部室というのはわれわれジャズ文芸部の部室のことで、ジャズ文芸部というのはわれわれが立ち上げたジャズと文芸を愛し研究するという大義名分のもとに勝ち取った称号と空間と時間のことで、活動は好きな時に来て好きな書き物をしたりジャズなどの音楽を爆音で聴いたりする。ウゥン、最高だ。

「おい、リツ。すろんりって知ってるか?」
「すろんり?」
唐突にジミーが聞く。しりもちをつくような名前に、ぼくはまぬけな声を出してしまった。
「そんな爆音でジャズかけてるやつが知らないなんてたまげた。お前ジャズキチ失格だな」

 猫っ毛でかまきりみたいな無駄にひょろ長いジミー。彼は自分がジミ・ヘンドリクスに似ているからジミーだと自慢げに名乗っているが、地味だからジミーなのだと言われていることを知らない幸福なやつだ。(本名は山河有太やまかわゆうただ。)

 そしてぼく、千田律一はいわゆる普通の十七歳の男の子だ。取りたてて飾るものもないが、強いて言えばジャズが好きなことと、小説を描いていることがささやかな特筆事項かもしれない。窓から若葉と土煙の混ざった風が舞い込んできた。なんだか風の歌を聴きたくなる。 

 ぼくはジャズが好きだ、カッコイイから。ぼくが、唯一自分のことを忘れられるのがジャズだ。
初めてジャズを聞いたのは中学生の頃で、ジミーの兄貴が音楽をやってるかなんだかで、ジミーも同様にジャズに傾倒していた。そんなに影響を受けてるなら兄貴に会わせてくれたっていいじゃないかと思うんだけれど、何らかの事情があるみたいだ。まだ顔を見たことすらない。

「おい、リツ、ジャズ聞いたことあるか?」
「ぢゃづ? カフェで流れてる?」

ばか、いいからおまえこれ聴け、と渡されたのがアート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズのモーニンだ。ぼくはこの曲の、鮮烈で一度聞いたら忘れられないメロディを、何度反芻したことだろうか。サブスクリプションでは飽き足らず、というか名盤はサブスクなどで抑え得るはずはないし、ホントにいいジャズはほとんど、滅多にお店で見かけることができない。レコード屋に足繁く通うか、独自のネットワークと噂とで仕入れてくるか、だ。

 ぼくのジャズ初体験は、モーニンだ。比較的有名だけど、初めて聴いた時は衝撃だった。静かに身体をうねらせて踊るようで知的なテナーサックスがエロい。あとから彼がアートブレイキーとかいうヤバい名前の巨人だとわかった。ぼくはこのアルバムのいろんな収録バージョンを聴き比べた、という具合に気づいたらぼくはジャズ沼にずぶんどぶんと流れて引き摺られて行った。撃沈だ。

 あとは、ライブハウスで聴くしかない、という。一度だけ行ったことがある。行ったことがあると言っていいのかわからないけど。吉祥寺にあるバードランドという店に行った。高校入学祝いにとひょんなことに近所の人がチケットをくれた。どうして近所の人がこう運よくジャズのチケットを持っていたのか知らないが、どうやらそこの家の娘さんがジャズシンガーだかなんだかでライブをチケットを持っていたらしい。ぼくはけっこう楽しみにしていたんだけど、当日緊張で店に入れなかった。笑えるけど、笑えないね。リバーサイドは近づいたが、バードランドは遠かった。

 店の前まで行ったはいいけどどうしてもその最後の一押しができなくて、ジャズに対する思い入れがぼくの背中を重たくしてしまって、今から聴こうとするジャズが、申し訳ないけど近所のお姉さんにその理想像を壊されるのが、怖かった。だいぶ悩んでから扉を開けようとして、やっぱりやめてしまった。

 当時ジミーはよく、「ジャズはクリティカル」だとか「男を酔わせる女」だとかなんだとかわけのわからない言葉を口にしていたけど、代わりに今はロックにのめり込んでいる。
「ジャズで熱く滾った原子を、クラシックで冷却し、ロックで核爆発を起こすんだ」

 相変わらずモーニンを聴いていると、自然と頭を振ったり、体が動いてしまう。ジミーに「スウィングしてる時はお前らしくていいな」と言われたときはカッと気恥ずかしくなる一方で、素直にうれしい気持ちもした。スウィング、というのは簡単に言ってしまえば音を揺らすことだ。ぼくもうまく言えないけど、体がわかる。ジャズは敷居が高いとかなんとか言われる。ジャズが好きなやつはパロディだとかうんちくが大好きなようで、正直言ってやさしくない。そんなじじくさい趣味のやつばかりで旧態依然とした野郎ばかりだから、という理由だろうな。お前ももれなくな、とジミーにまたよく言われる。

「おい、聞いてるか、リツ」
脳の回線が太いペンチで暴力的に切断された。
「何が?」
「何がじゃあなくて、お前、ここ偵察に行ってこい」
「どしてさ。ジミーが行けばいいのに」
「なんていうか、まあ、見てきてくれないか」

 半ば強制的にフライヤーを渡される。ぼくはジミーのこういうぶっきらぼうなところが好きだ。ぼくとは対照的ながさつさが、正直羨ましい。フライヤーを見やるとお世辞にもエモいともクールとも言えない、団塊世代のおじいさんが作ったような絶妙にダサいデザイン。それもA4の紙の中心の右寄りに、つまり少しズレている位置に「ジャズ喫茶すろんり」と書かれていて、その下にちょこまかと行替えすらしていないありえないくらい小さな文字で何か書いてある。目を凝らしてよく見てみると

「のんびりとしたひと時をあなたに。いつでもどうぞ。 ぼくたちのセッションを聴きにきてね 玄 のだ はかせ ある爺 より」

 サックスに脚が生えたキャラクターも添えられていた。

「自治会の盆踊りか?」
「ある種のトランスパーティだよ。行ってこい、頼む」

ぼくのご尊顔に米でもついてるのか、両手を合わせて見つめられた。しょうがないな、とため息を吐いた。

「でもジミーが行けばいいじゃん」
「おれ一人じゃ、ちょっと」

 ジミーは少し目を逸らしてそのままドアの先へ歩いていった。

つづく……



 こんにちは、田中友海です。日本大学芸術学部文芸学科で小説や詩を執筆しておりました。今は筆を休めていたのですが、また書いてみようと思いました。

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ともちゃん(旧・猫論汰)@Jitsuzon __OK という名前でXに生息しています。気軽に声かけていただけたら嬉しいです。

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