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それは誰の言葉だろう?

自分の考えやものの見方が、人と違っても大丈夫、と思えるようになってきた。

ありえない!!という強い反応を、目の当たりにする機会があった。

その反応は、「外から埋め込まれた価値観」に囚われてるときに起こるのかも。ちょっとした発見。


子どもだけで公園に行く

夕方になって、小1の次女が公園に行きたいと言い出した。
年中の末っ子長男も、同調する。

「え、ママご飯つくりたいんだけど。」

「自分たちで、行ってきていい??」と言う次女。

しばし悩む。
「え、ちょっと心配。夕方は車や自転車の動きが速くなるし。」
「え、でも、ご飯つくりたい。公園に付き合っていたら、だいぶ遅くなっちゃう。」

そのまま子どもたちに伝える。

「大丈夫。道路を渡るとき、めっちゃ気を付けるから。」と凛々しい顔で答える次女。
次女は、公園との行き来は、だいぶ慣れてきている。

末っ子は、基本、親か小6のお姉ちゃんと一緒に公園に行っている。最近、人の話が聞けるようになってきた。

次女は「本当は自転車で行きたいけど、しょうがないから、一緒に歩いていって、弟の面倒見てあげるから!」という勢い。

張り切ってる次女は、こういうとき頼もしいところがある。小学校に入ってからは自信を失い気味だけど、約束はちゃんと責任をもって果たす方だ。

「絶対、手をつないで、お姉ちゃん(次女)の言うことを聞いて行くんやで!」と約束して、2人は出て行った。ちょっと緊張したその後ろ姿は、2人とも頼もしかった。

この判断を、まだ子どもたちが小さすぎると考えるか。成長する機会ととらえるか。

少し悩ましい。心が揺れる。

違う考えに直面する

その翌日は授業参観。少し会話した次女のクラスのお母さん。次女は、そのお友だちのことが大好きで、放課後に一緒に遊ぶことがある。

そのお母さんに挨拶したら、強い思いが飛び出してきた。

「この前、次女ちゃんが一人で家に手紙を渡しに来てびっくりした。大人が付き添わず一人で来るのは、まだ危ないし信じられない。」という感じ。

ちなみに、2人が行った公園より、こちらのおうちの方が近い気がする。

ちょっと言い方は再現できないけど、パンッと言い放たれた。

えらい、はっきり言う人やな、と思って、ちょっとモヤっとした。

まぁ。1年生の間は、基本、大人が一緒に動くものなのかな。うちはお姉ちゃんが大きい分、どうしても緩くなりがちかもしれない。

でも、なぜかモヤモヤが続く。

特定の価値観に囚われている

また体で感じるワークをしてみる。モヤモヤを体感でとらえてみる。

そして、ふと思い至る。

「あれは、あのお母さんが囚われている価値観だからやな」

そのお友だちには、いつもおばあちゃんが付いて回っている。お母さんはお仕事。次女のことも心配して、おばあちゃんが家まで送ってくれたことがある。

いや、でも、今日はそのお友だち、一人で自転車に乗ってウロウロしてたけど。ま、いいや。

なんというか。実際はどうであれ。話してて、「○○じゃなければならない!!」みたいな強い思いを感じたのだと思う。

「小1の子を一人でウロウロさせてはいけない」みたいな。

「一人で行かせるなんて、ありえない!!」っていう反応。

そのお友だちのお母さんにとって、「小1の子が一人でウロウロしてはいけない」のは「当たり前」とか「常識」なんだろう。

その人が囚われている価値観を、真正面から押し付けられたように感じたのが、モヤモヤの原因だな。

しかも、なんかそれは、お母さん本人の思いではなくて、おばあちゃんから言われてそう、とも感じた。

逆にお母さんがおばあちゃんに、一人にしないで!と強く言っている可能性もあるけど。

自分の考えだったら、人の考えが違ってても、そこまで強い反応にならないのでは、と思った。

とにかく、まだうまく言葉にしきれないけど、それは本人の思いから生まれたものじゃなくて。外側から価値観が埋め込まれているんじゃないか。そんなことに思い至った。

これ、なんか新しい感覚かも。

埋め込まれた価値観

「何が正しいか」は置いといて。結局、また「それは私の世界ではない」になるのでね。何が大事かは人それぞれ。

今までも何回も目の当たりにして、面食らってたことが、だいぶ言葉になってきた。

昔から、私の言動に反応して起きる、この「ありえない!!」に傷ついてきた。

でも、それは私の価値観や存在を否定するものではなかったんだ。

その人自身の価値観をくつがえす何かへの、強い反応だった。

まだ子どもの頃に、親から言われた言葉を、そのまま自分のものとして取り込んだもの。本当は、それを口にした本人の心から生まれる言葉じゃなくて。言われたことを、そのまま自分の口から出している。

「こういうものでしょ!」「こうでなければならない!」という埋め込まれたもの。

その「こうあるべき」を守らない選択肢なんて考えられない。なのに、守らない人がいるなんて!
(その守らない人が私。。)

それにしても、何か不思議な感覚だったな。

本人が気づいてないような、人のモヤモヤポイントまで、キャッチしてしまったかも。
たった1~2分の会話だったのに。

私、本当に感受性が強いな!!再認識。

そら、学校に行くと、ものすごく疲れるわな。

でも、何かすごーく大事なことに直面してる感じがしてる。

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