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顔に出てたかな 2022年4月12日

今日は考えることが多くて疲れた。家に着いた時間も遅い。
大学の初回授業の日で、はじめましての先生が多くて、「この先生どんな人かな」と考えたり、オリエンテーション的なものをメモしたりと、授業内容とは違う部分での消耗が多かった。慣れないことをしたからオーバーヒートしてる。頭があっつい。

どれも楽しそうな授業だった。自分の体験談やそこから得た知見等の具体例を沢山話してくれるタイプの先生達で、内容が入ってきやすい。考察も色々と捗りそう。
ただ一方で、疲れる曜日になるだろうなとも思った。楽しい分、心が動かされまくるので、考えすぎて気が付かないうちにキャパオーバーになっている。とにかくずっと面白くて「聞き逃してもいいや」という瞬間があまり無かった。頭が常にフル回転。たった2コマの授業であまりにも疲弊しすぎて、去年受けていたつまんない概論とかの授業が少しだけ恋しくなった。少しだけ。


たまに「疲れた日には楽しいことをしてリラックスしな~」と言ってくれる人がいて、その気遣いにいつも励まされる。それと同時に、楽しいこととリラックスできることって、自分の中では少し違うな、とも思う。


楽しいって、疲れる。


友達に会う、面白い授業を聞く、おいしいご飯を食べる。これらは全て「幸せエネチャージ効果」を持つけれど、同時に「終えた後の疲労感」というのも確実に付き纏う。
頭を使うからだ。
友達に会うと「話す」。授業を聞けば「考える」。ご飯を食べたら「おいしいと感じる」。いずれにせよ、頭は常に動いている。

ご飯おいし~程度で頭使ってることになるかねという感じもするが、自分の場合、心からリラックスするためには、「脳の動きを完全に停止してOKな時間」が欲しいのだ。誰にも会わず、何も考えず、ご飯がおいしいことも、友達が優しいことも全部全部スルーして、丸1日ぼーっとすることを許される時間が。

もちろん例外はある。リラックスできること=つまらないと言いたいわけでは無い。
楽しいと感じられて且つリラックスできること(日)だってあるし、時と場合によっては「友達と会わないともうやってられん」と思う。だけど今日の気分的には、なんか、こんな感じなのだ。何にも考えたくない。こうやって言語化を目指しながらゴチャゴチャ考えていると、整理するためにまたメモアプリとかを開いてしまって良くない。本当なら執筆もやめた方が良いんだろうけど、今日のこの勢いで書かないと2度と生み出せない文章な気がするので、ほぼほぼ脳に操られるような状態で書いている。とにかく情報を入れすぎた。なんかどんどん色々思いつくので、止まらないのだ。手が。創作活動のためには貴重な1日と言えるかもしれない。もうポジティブに考えた方がいいな。


「…あの、座りますか」



……そんなことをぐるぐる考えていたら、電車の中で知らないおじいさんに声をかけられた。席を譲ってくれるんだそうだ。そんなに疲れた顔してたかな。

「あっ、次で降りますので大丈夫です、ありがとうございます」

反射的に答えていた。
優しいおじいさんに頭を下げ、間もなく止まった駅で降車した。



いつも席を譲ったときに断られると「(かえって気まずいんだよ…座ってよ…)」と思っていたけれど、謎が解けた。これ、反射的に大丈夫ですって言っちゃう。おじいさんも私が降りるまでの数分、気まずかっただろうな。私も気まずかったけど、申し訳ない。そして普段であればむしろ私が譲ってあげるようなお年の方だった気がする。やだなー、人に心配かけちゃってるの。どんだけ酷い顔してたんだろう。マスクしてるから目元の情報以外無かったはずだけど…クマも出来たこと無いから顔に出にくい体質だと思うんだけどな…知らないうちに前屈みにでもなってた?

全く知らない駅のホームに立ちながら、また色々考える。次の電車まだかな。それにしても、ここどこなんだ。

えーと





なんか


暫く電車来ないっぽい。


よりによってなぜこんなマイナー駅を。おなかもすいてきたのに。今日は本当に運が……




……良いのかもしれない。あのおじいさんとの出会いが無ければ、この駅とも無縁だったわけだ。慣れないことばかりだった1日の締めにふさわしいじゃないか。新たな出会いに感謝しよう。どうもありがとう。


見知らぬ駅でぺこぱになってしまった。元々おみくじの大吉を引くことで運を失った気になるような人間なので、反対にこういう時でも割とすぐ元気になれる。



電車はまだ来ない。

最近春めいてきたけれど、夜はやっぱり少し寒い。
頭は熱いから、丁度良いのかも。

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