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来年度はがんばらない 2022年3月31日

今年度最後の日なので、何かキリのよさそうなことを書いておきたい。長い春休みももうすぐ終わり、大学3年生の一年間が始まる。少し前から気づき始めていたけれど、高校生を過ぎた辺りから、精神的な成長ってこれっぽちも無いんだな。高校卒業以降、心はそのままの自分。来年度はどうしよう。特に構える必要性も感じていないのでぼーっと突入しても良いとは思うんだけれど、何もないというのも味気ない。


ひとつだけ、去年の10月くらいからぼんやりと思い続けている「こうしたいな」という目標のようなものがある。それは「がんばらない」ということだ。来年度は、がんばらない。脱力系の自己啓発本にゴロゴロ転がってそうな有り触れた言葉だが、ここでいう「がんばらない」には自分なりの前提がある。

結論から言うと、多分、自分はこの約束を守れない。大学の授業が始まり、ボランティア活動に取り組み、習い事に通い…と、そういう生活が始まれば、自然と忙しい日常が訪れる。これらを頑張らずして乗り越えるなんて不可能。どーせ忙しいのだ。勝手に忙しくしているだけなのでそれで文句を垂れていては自分勝手なのだけれど、そうはいっても、時折のぼやきくらい許されたい。

授業の履修登録一つをとっても、自分の情けない文句は後を絶たない。「将来役に立ちそう」と思ったら、途中経過が多少億劫でも履修する。資格や免許等、将来のリターンのためだ。ただ将来を考えて履修したとはいえ、事実、面倒臭いものは面倒臭い。いつか得られるリターンに思いを馳せるだけでは割に合わないほど、授業というのは面倒臭いのだ。それでも大切な将来のために、今しか無い授業を履修するかどうかを決める。「タイセツナショーライ」がかかっているのだから「面白そうか」だけで雑に判断するわけにはいかない。皮肉っぽく書いたけれど、実際目の前の課題が億劫なだけで、努力して良かったと思える日は来ると思う。だから頑張る。でもたまには言わせてほしい。言ったらちゃんと頑張るから。あー、大変。


そしてこういう場では色々吐露しつつも、サボる勇気が無い人というのは、何だかんだで頑張るのだ。億劫さよりも、サボったときに降りかかってくるであろう制裁への恐れが勝つ。今後もきっと、締め切りの迫ったタスクを目の前にしたら何だかんだで頑張るのだろう。だって今までそうだったんだから。



つまり、この「がんばらない」には「まあ、頑張るけどね」という前提がある。どうせ頑張るから、せめて掲げる目標だけでも気の抜けた感じにしておきたい。そうして考えた自分なりの言葉が、「がんばらない」だ。平仮名表記なのも、ユルさ重視のためである。


サボれない馬鹿真面目に、渇を入れるようなスローガンは必要ない。ふとした瞬間に思い出して「よっしゃ、やるぞ」となる声掛けよりも、「ああ、そうだ。がんばらなくて良いんだった」と息継ぎが出来る言葉の方を、今の自分は大切にしたい。課題はサボっていい。シフトも減らして良い。実際に出来るかは別として、取り敢えず心の中はそうでありたい。

来年度、なるべくがんばらないぞ。おー。






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