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血圧ハラスメントスコーラ 2022年7月4日

鬱とその支援に関する授業レポートの指定文字数が多すぎて鬱になりそう

って

呟こうとして、

やめた。


鬱という言葉を軽率に使うのが、なんか良くない気がしてきたからやめた。

鬱とかコミュ障とか、最近になって割とフランクに使われるようになったこの手の言葉って、元々の意味合いと比べて、良いことなのか悪いことなのか判別不可能なくらい、どこか自虐的なニュアンスを孕むように変化している気がする。

「○○なの鬱」とか、「コミュ障すぎて〇〇」みたいな表現から何となく漂ってくる微妙な感じ。自分自身が何かを感じて辛いとかは無くて、ただ「何かしら心地の悪さを感じている人の存在」を感じる。誰かが嫌なんじゃないかと思ってモヤモヤする。「コミュニケーション障害」と「コミュ障」って、最早単なる正式名称と略語の関係に留まらないというか、明らかな重量感の差があるのを感じる。

少なくとも形に残るSNSのような場で使うのはためらっておこうと思う。この辺真面目に語ろうとするとこのくらい長い文章になってしまうので今回はこれ以上何も言わない。


最近、大学の授業で取り扱う内容が、鬱だの自殺だの白血病だの、重ためな話が多くて大変。大事な話なのは分かるけど、ちょっとそろそろ休みたい。
先日レポートうわあああああというnoteを公開して、それの内容にも関係することだけど、最近取り組み始めた課題があまりにもしんどくてかなり疲弊中。授業レポートの文字数が最低一万字越えで泣きそうなのだ。これ一つに向き合えるならまだしも、他の課題も当然ある。自分で選んだ道だから文句が言えた口でも無いんだけど、凡人にとっては一万なんて星の数ほどの文字数に見えるんだよ。

★彡

その先生は外部の方で、普段は現場で働いているらしい。優しい支援員の顔してえぐい課題出してくる。教育者や福祉関係者(の一部)っていっつもそうだ。やってることは社会貢献だから外面は良いけど、ぜんぜん優しくないんだから。同業者には厳しいじゃん。現場で出会った理解の無い人の愚痴とか、分かるけども、言うにしてももう少し丸く言ってほしい。つい感情が高ぶってんだか知らないけど、それだけ今の仕事を誇ってるんだろうけど、伝えたい思いが強いんだろうけど……だからって後輩育成の際に言葉遣いを荒げて良いなんてことは無いはずなのに。そんなんで患者さんからは「あの方は優しいわあ」なんて評価なんだから。上手いこと生きていらして。もー。嫌んなる。


あとその先生が血圧計の話をしていたのだけど、その時に「血圧計って病院のと市販のと見たことありますか?」という質問を投げかけていて、その質問の仕方が、なんだか不思議だった。

「血圧の値がより高く出るのは、病院のと市販のとどっちでしょう」と聞きたかったらしい。ちなみに答えは「市販の(方が高く出る)」。もし市販のが低く出ると、本当は高血圧な人が「問題無し」と自分の裁量で判断してしまうかもしれない。それで病院に行かなかったり、色々と手遅れになったりしたらヤバいから、だって。


先生がマイクを持ってこっちにいらっしゃる。こっちに来れば来るほど、指名する人を探しながら、皆の反応を見ながら、少しずつ質問を変えていった。

「お聞きしてみましょう」

「血圧計って病院のと市販のと見たことありますか?」

「血圧計、ね、どのくらいの数値出るか分かりますか?」

「血圧どのくらいか分かりますか?」

「血圧いくつですか」


一歩詰めるごとに質問の角度を10度くらい変えてくるタイプの先生だった。質問の難易度を下げてるともいうのかもだけど、下げ方が不思議だなと思った。最後にド直球が来て笑ってしまった。学生に血圧聞くことある?


あと、

あの、

他人に血圧を聞く……って、少しパーソナルな情報に踏み込んでないのかな、と思った。

セクハラまではいかないけど(いくのかな)……。先生に血圧を聞かれるって、何もヤな感じがしないって言ったら嘘になるよね……自分だけ……かな。


――これを聞いた時、ふと、高校生の頃に受けた、とある保健体育の授業を思い出していた。高校だの血圧計だの鬱だの、今日は頭の中が忙しい。


自分の高校では、保健体育の授業の一部を先生ではなく生徒がやった。生徒達は誰かとペアを組んで、どこかの範囲を任されて、模擬授業的な感じで、みんな順番に授業をする。先生は見ている。先生仕事してよと思わないでも無かったけれど、その先生の授業と同じくらいの内容は身につくし、何より同級生の授業だから寝たら申し訳ないな、という思いが強まったから、サボらずに済んで結果的に良かったんじゃないかと思っている。

で、その中で行われていたとある子の授業中。その日の自分は、出席番号の並びの都合で、先生役の子から当てられる番だった。その時にもらった質問が、その子から聞かれた質問が、


「〇〇さん(私の名前)は子どもが欲しいですか?」


……これだった。

これに自分はすごくびっくりしてしまって、うまく答えられなかった。

今でも覚えてる。

あんまり詳しく書かないけど、当時、自分は人間が子どもを作るためにしなければならないことが一体何なのかを色々と察したぐらいの時期で、この授業は、それから間もないくらいの出来事だった。

識ったその日からの自分は、あまりの衝撃に心の中が毎日混乱していて、その根底にある「恋」や「性別」という概念そのもの、そして相手に対する恋愛的な感情をさらけ出すこと自体が、ふしだらで、物凄く恥じるべきことだと感じるようになってしまった(実は今でも少し)。

だから、「子どもが欲しいですか」という純粋な質問にも、裏にある人間的な、グロテスクな欲望のようなものを感じてしまって、それに対する個人的な意見を教室全体に公開しなければならないということが恥ずかしくて仕方がなかった。焦りに焦った。頭が真っ白になった。それで、真顔のまんま、


「いや……別に」


と、言った。首を横に振ってしまった。



教室中が苦笑いの空気に包まれたのが分かった。

先生役の子も少し苦そうに笑って、「……では〇〇くんは、どうですか?」と、自分の後ろにいた男の子に質問のターゲットを変えた。優しいその男の子は、「欲しいです」と答えていた。教室中の止まった空気が、私が止めてしまった空気がまた流れ始めて、そこから授業は展開されていった。ありがとう。実際欲しかっただけかもしれないけれど、その男の子の優しさに、心の底から救われるような気持ちがした。何とか逃れられたという思いでいっぱいだった。本当にありがとう。

そして授業を進めたかったその子にも。本当にごめんね。こんな深く考えるような質問のつもりじゃなかったと思う。ただただ焦って、どうすればよかったのか分からなかった。でも悪気なんて一切無かったと思う。本当に。



――と、このような。この時の感じを、

今日の授業で、

「血圧どのくらいですか?」で、思い出した。


自分のこの辺りの言葉への脆弱性というか感じ方には、周りとどんな違いがあるのかな。それはずっと気になる。


実際自分が子どもを欲しいかどうかは……良く分からない。小さい頃は「ほしい!」「一緒に遊びたい!」って言ってたような気もする。色々なことを知ってよく分かんなくなっちゃったけど、自分は子どもが大好きだ。そこだけはずっと変わらない。



最後に。

「ハラスメント」って難しい言葉だなと思う。noteの題名につけると何か嫌な目にあったんじゃないかと心配されてしまうと思ったので、特に深い意味は無いけどメントスコーラにしておきました。私は何もハラスメントを受けていません。って言うと受けてるみたいに見えるよ。本当に受けてないです。

メントスコーラって、一回やってみたい。


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