12才のころ、横浜から京都まで歩いた話。
今年も一年ありがとうございました。
4月に妻とムスメと共に、北九州から沖縄に引っ越してきて早いもんでもう年の瀬。
相変わらず定職に就くでもなく、忙しい頭と付き合い、家族にも付き合わせながら直向きに音楽活動に励ませていただいております。
20代の大半を引きこもり、三十路を過ぎて躁共にあらゆる方向に感情を爆発させながら現在に至るまで突っ走ったり沈没したり、時にぶっ壊れたりwww
感情の矛先である音楽が自分の救いであり祈りであり前進するためのエンジンでもあり。
様々な感情を音楽に昇華して今ここまで幸せに生きられている。
それがときに、他人の感情を揺さぶり生きるためのエネルギーに変換されたりすることがある。
それを知れたとき、おれは音楽を続けてきてよかったなと心から思う。
10代の頃hiphopに出会い、おれはやり場のない感情に火をつけられた。
20歳ごろ、自分でリリックを書き始めた。
ただ生きているだけでは消化出来なかった想いを、ただ書き殴り曲にし続けた。
それはきっとこれからも、しばらく変わることはないと思う。
ただひとつ変わったことと言えば、自分の音楽が自分だけのものでは無くなったということ。
様々な感情を自ら曝け出し、自分が歩んできた道を示すことで誰かのためになれるのならおれは喜んでケツメドだって晒してやる。
昨日、youtubeにアップロードしたmusic video
「国道1号線-monos_penta remix」
https://youtu.be/bOUbH1079as?si=FWeEwJX4ixUKwOzk
11〜12年くらい前に作った曲を近年、友人のビートメイカーであるmonos_pentaと共にリメイクしたもの。
少年期、複雑な家庭環境から抜け出すためにした冒険のほんの一部です。
是非、ご視聴ください。
[ verse1 ]
あれは十三になる少し前 中学に入り流れた空白
義理の親父はどっか行っちまい 終いにはお袋が酒に狂う
弟の泣き叫ぶ姿 何も出来なくて震える肩
ギリギリだった糸がプツリ切れる ガキの思いじゃ救いきれん
飯もロクに出てこなくなる 学校にも行かなくなる
家出繰り返し居場所なくなる 誰を信じりゃ?わからなくなる
消えた親父のいいとこばっか 何かやけに思い出して辛ぇ
金もねぇのに最後の希望 京都まで歩いていったっけ・・・
[ hook ]
木枯らし吹く 横浜の夜 話をしよう どの花に酔う
絶望照らす汚っねえネオン 街灯並ぶ国道一号線
木枯らし吹く 横浜の夜 話をしよう どの花に酔う
絶望照らす汚っねえネオン 街灯並ぶ国道一号線
[ verse2 ]
日本橋から少し西 横浜の地がスタートライン
合図待つ間もなく一人家を立つ あんな親父でも元は家族
年の頃は十二かそこら どこらへんにでもいるボウズだろうが
秋の風は冷てぇ震えて 超えた真っ暗な箱根
悲しい旅と思うもんか 気分は裸足のトムソーヤー
400km Rout 1 血豆破れる足の裏
故郷が遠くなるに連れてどうも 痛くなる足と心
あの頃に戻ろう 言いたくて おぼろ月眺め歩く知らぬ道
[ hook ]
木枯らし吹く 横浜の夜 話をしよう どの花に酔う
絶望照らす汚っねえネオン 街灯並ぶ国道一号線
木枯らし吹く 横浜の夜 話をしよう どの花に酔う
絶望照らす汚っねえネオン 街灯並ぶ国道一号線
[ verse3 ]
あの頃に戻ろうは言えなかった いや言わなかった それで良かった
話の続き?気が向いたら 今となっちゃどうでもいいから
何を信じ何を愛す? 姿形なき「今」を愛す だろ?
どんな生き方どんな死に方 他に無き愛す我が生き様
[ hook ]
木枯らし吹く 横浜の夜 話をしよう どの花に酔う
絶望照らす汚っねえネオン 街灯並ぶ国道一号線
木枯らし吹く 横浜の夜 話をしよう どの花に酔う
絶望照らす汚っねえネオン 街灯並ぶ国道一号線
今年も一年幸せに生きることが出来ました。
来年もよろしくお願いします。
炉人
白米が食べたいです。