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尊重とは、その人が唯一無二の存在であることを知る能力のこと

こちらの記事『愛を学ぶということ』で、

おすすめした本

『愛するということ』 エーリッヒ・フロム

から引用。

そして、前の記事『愛は能動的な活動』のつづきです。

前回は、

愛の能動的な性質を示しているのは、与えるという要素だけではない。どんな形の愛にも、かならず共通する基本的要素がいくつか見られるが、ここにも愛の能動的な性質があらわれている。その要素とは、配慮、責任、尊重、知である。 

で、終わっていました。

愛の第3の要素である尊重が欠けていると、責任は、容易に支配や所有へと堕落してしまう

尊重は恐怖や畏怖とはちがう。

尊重とは、人間のありのままの姿を見て、その人が唯一無二の存在であることを知る能力のことである。

尊重とは、他人がその人らしく成長発展していくように気づかうことである。

したがって尊重には、人を利用するという意味はまったくない。

私は、愛する人が、私のためではなく、その人自身のために、その人なりのやり方で成長していってほしいと願う。

誰かを愛するとき、私はその人と一体感を味わうが、あくまでありのままのその人と一体化するのであって、その人を、私の自由になるようなものにするわけではない。いうまでもなく、自分が自立していなければ、人を尊重することはできない。自由であってはじめて人を尊重できる

私はまさに人生の前半を通して、尊重するとはどういうことかを学んできて、今生きていく上で、ソウルワークしていく中で、最も大切にしていることが書かれていて、感動しました。 

知識は、経験を通して智慧になる。

それを何度も身をもって感じてきました。

人を尊重するには、その人のことをまず知る必要がある。その人に関する知によって導かれなければ、配慮も責任もあてずっぽうに終わってしまう。いっぽう知も、気づかいが動機でなければ、むなしい。他人に関する知にはたくさんの層がある。愛の一側面としての知は、表面的なものではなく、核心にまで届くものである。自分自身にたいする関心を超越して、相手の立場にたってその人を見ることができたときにはじめて、その人を知ることができる

自分自身にたいする関心とは、

自分への無価値観なども含む。

自分を尊重するには、自分のことをまず知る必要がある。

言うまでもなく、人を尊重できるようになるのは、自分自身を尊重できるようになってからの話である。

配慮、責任、尊重、知はたがいに依存しあっている。この一連の態度は、成熟した人間にのみ見られるものだ。

成熟した人間とは、自分の力を生産的に発達させる人、自分でそのために働いたもの以外は欲しがらない人、全知全能というナルシシズム的な夢を捨てた人、純粋に生産的な活動からのみ得られる内的な力に裏打ちされた謙虚さを身につけた人のことである。

これが成熟していくことから生まれる真の謙虚さだと、魂が震えた。

変な自己犠牲的な謙虚さを捨て去り、
丁寧に向き合ってきた今だからわかる。

そして、スピリチュアルな能力や知識がある人ほど、自分は特別な存在なんだというナルシシズムに陥る危険は高くなる。

私なんてという偽りの謙虚さも、

私は特別なんだという変なナルシシズムも、

真実の愛を知る道への、

大きな落とし穴となる。


自分と向き合うということは、

もしかして私そういうとこあるかも。。。

と気づいたり、

認めたりすることからはじまる。


気づいていなかったことに気づいて、

見たくなかった部分を認めて、

人は少しずつ成熟していく。


どこかあなたの中にある真実に響いたところはありましたでしょうか?

つづく。







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