ディズニーの思い出が染み付いたタオルが洗えない

この前ディズニーランドに行ってきた。このnoteで散々言ってきた、ディズニーに行ける人生。ろきちゃんはひっそりと水面下でその計画を着々と進めていたのだ。もちろん、誰と行ったか宣言するのは無粋なので、秘密にしよう。

(男2人で行ったなど本当に情けないので言えないが、楽しくてしょうがなかった)

あの日は、それはそれは夢のような一日でこの世のものであったとは、今でも俄かに信じ難い。それほどの光景が目の前に広がっていた。ディズニー作品が好きでもない、「アナと雪の女王」ぐらいしかまともに観たことがないろきちゃんですら、どうしてあれだけ、あのテーマパークに酔狂することができるのだろうか。

3月の京葉線。東京駅の改札からホームにかけて、まさにごった返しだ。甘酸っぱい匂いを運ぶ、学生と思わしき人波の中に、絶対にディズニーに足を向けないスーツ姿の大人がそれなりの数共存している。学生諸君からみれば紛れもなく楽園への道のり。でもサラリーマン諸君にしてみれば、普段の憂鬱さに学生諸君の人波が憂鬱さを上乗せしているようなものだ。なんで隣駅の八丁堀で降りんのにこんなことになってるんだ、と思っているサラリーマン様はきっと少なくない。

しかし、そんなサラリーマン様の気持ちを慮ってこちらの高揚している気分を舞浜まで抑圧するなど馬鹿のやることだ。出来るだけハードルを上げる。出来るだけ舞浜のハードルを上げる。以前来た舞浜を記憶の中で出来る限り美化する。それは、こちらが想定したハードルなど、実際の舞浜はいとも簡単に飛び越えてくるのだから。そして、想定したハードルが高ければ高いほど(麻痺すればするほど)、カチューシャに手が伸びやすくなるだろう。斜に構える姿勢なんぞは、少なくとも新木場に置いてけ。

うん。ここまでが楽しいのかもしれない。ここまでのワクワクが、あれだけの人混みに意を介さない程、どっかの感覚器官にバグを発生させているのではないかと思う。あんなに人がいて、あんなに食べ物飲み物の値段が高くて、あんなに太ったハトがいる場所はなかなか無い。

そうは言っても、多幸感が尋常じゃないことも確か。あれに多くの人が惹きつけられる。鬱陶しいほどの甘い匂いが染みついたタオルをろきちゃんはまだ洗えずにいる。ポップコーンの甘い匂いがディズニーで観た景色をフラッシュバックさせてくれるタオルだ。それほどの多幸感を…。日常で味わうには無理すぎるあの多幸感を…。

もはや24のろきちゃんにはディズニーランドに閉園まで居られる体力など存在しないと思っていた。しかし、蓋を開けてみれば閉園時間間近に夢の国から帰国することになった。今度はシーにしよう。明日からまた頑張れる。ツレとそんな会話をしながら舞浜駅に行くと、これまた恐ろしい程に混雑していた。うわぁ人すごいね、と言うと、明日も仕事があるツレは、小さく舌打ちをした。

もう。最悪の思い出じゃん。

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