大学生が終わる

3月1日に、大学生活最後の成績開示が行われた。我ながら見事に単位を取得し、最後の最後に成績評価を少しだけ上げることに成功したまま、卒業することができた。まだ正式に卒業が決まったわけではないが、ろきちゃんの卒業はほぼほぼ決定的だ。このnoteで散々にろきちゃんの大学生活は楽しくなかったと、そうほざいてきたが、それでもセンチメンタルに、あるいは望郷的に感じてしまうことは許していただきたい。

大学1年生、浪人の末第1志望大学不合格によりプライドが傷つきながらも、念願の大学生活とひとり暮らしに胸を躍らせたのも束の間。思い描いていたような、同級生たちが実現させていたような、大学生活には程遠く、高校時代の友達たちとは疎遠になっていき、地元から遠く離れた大都市東京で孤独を感じずには居られぬ日々だった。ろきちゃんはこいつらとは違うんだ、今大学生活を楽しめていないのは大飛躍に向けて膝を曲げているのと同じことだと考え、太田プロの養成所に通うため、必要以上にバイトを頑張っていた。我が大学にお笑いの芽を!と思い、設立したお笑いサークルは4人しか集まらず、3ヶ月ほどで解散に追い込まれた。そんなろきちゃんは、大学の講義を受けながら、キャンパス内を歩きながら、楽しそうにしている連中を何人頭の中で殺したことか。AKB48と、月1回口座に振り込められるまあまあの額のバイト給料が心の支えだった。

大学2年生、心機一転、太田プロの養成所に通い出す。養成所の授業に合わせて、大学の授業を取り、わけのわからない授業を何個も取るはめになる。横浜から新宿は大学授業の片手間に通うには遠すぎた。それでも、どちらも皆勤賞。でも、頑張っただけ。結果など出ず、相方も見つからず、養成所辞めようかと思案した12月。あいつと出会った12月。すぐにコンビ名変えようと思っていた、白れんがを結成することに。おい、ろきちゃん、今あんたの隣にいる、見た目ヤバい奴は中身もちゃんとイカれてるぞ、気を付けろ。本格的にライブ出るぞー!と思っていた矢先のご時世。2年経ってもまだご時世だぞ。

大学3年生。半分くらいは身動き取れずに過ぎ去ったが、リモート授業のおかげでヤバい奴とずっと一緒にいた。ネタ合わせとライブで。何も結果が出なかったが、大学生になって初めて楽しいという感情が湧いてきた。大学とは関係のないところではあるが。より大学生としての暮らしが希薄になって、大学院進学のための勉強も進まず、英語の外部試験で大学院試験諦めようという感情を惹起するほどの点数を取ってしまった。それでもなんとか、大学3年生が終わる前に及第点といえる点数を取ることができた。嬉しかったわけじゃない。だって通過点だったから。目標のための通過点に過ぎなかったから。でも、少しだけ、ほんの少しだけ、口角を上げながら、小さなガッツポーズをし、妹に電話した。

大学4年生。白れんがのYouTubeを始めた。東大大学院に合格した。一応芸人として、地上波のテレビに出演することができた。色んな人からのエールを受け取ることができた。今やってることが、自分だけの話じゃなくなってきた。相方ヤバい奴曰く、ろきちゃんは目つきが良くなったらしい。明らかに出会った頃からは接しやすくなったという。中高よりも長く、小学校よりは短い、大学の4年間で、新人バイトの子がハンディを自分で打てるようになったくらいには成長したと思う。でもやっぱり、楽しそうな連中は頭の中で殺してしまう。まだもう少し時間がかかるみたいだ。後、半月だ。まだまだ大学生だ。できる限りの学割を使おう。

見ての通り、他の人に比べれば、薄すぎた大学4年間。それでも、名古屋で開催のM-1に出るため台風が接近する中、名古屋まで行き、結局中止になって漫画喫茶で一夜を過ごしてくれた、そして、卒業旅行と称し、2日間に渡り東京ディズニーシーとディズニーランドに行くことを約束してくれたアイツと出会い、友達になれたのであれば、それだけで心底良かった、とは思う。

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