ハッピーエンドなんてご都合主義のツチノコさん
ハッピーエンドなんてきっと魔法だ。どこにも存在しない、誰も知らない、でも、その概念を知っているだけでなんとなく納得できる、そんな魔法に違いない。
青春エンタメはハッピーエンドに帰結する。すれ違いの両思いが実ったり、片思いが報われたり、恋が叶わなくてもそれ以上のものを手に入れたかのような結末で、ろきちゃんはじめ我々を魅了する。でも、そんなのは俳優女優として誰からも認められるほどの美男美女が、織りなすから見てられるのだ。いくら台本が良くても、いくら演出が良くても、ろきちゃんが主演なら、それはきっと「寄生獣」を見てるのと大して変わらないだろう。いや、「寄生獣」の方がキュンキュンするかもしれない。
そんなことを考えたら、こんなろきちゃんがわざわざ映画館に青春映画を見に行くなど自傷行為も自傷行為だろう。こんなろきちゃんでも、気軽に見られる、ブサイクとブサイクの何も起こらない、恋愛映画でも、誰か作ってくれないものか。異質の恋愛映画か。いや、それがきっと普通だ。それがデフォルトの恋愛だ。分かりやすいハッピーエンドなんてリアルじゃないんだ。
ろきちゃんは、大学受験を2度失敗している。浪人して更なる投資をした挙句、2度目の受験も失敗した。して、横浜国立大学に辿り着いた。勿論、横国だって素晴らしい大学だ。でも、それは、その結末はろきちゃんにとって、大学受験に多大な時間とお金を投資した者にとって、ハッピーエンドではない。しかし、不思議なものでこの結末で良かったと思ってしまっている。うまいこと大学受験がいっていたら、お笑いをやっていなかったかもしれない。今、お笑いがこんなに楽しいのは大学受験に失敗したからだ。今がベスト、これがベスト、成功の方じゃ出会えない人々に出会えたしね。
そんな訳ないだろ。そんな都合良くねぇよ。
そうやってろきちゃんは自分を納得させていた、いや、そうするしかなかった。「成功じゃ出会えなかった人々に出会えた」とか言って。大嫌いな言葉だ。勿論、それはそうだろう。でもそんなことは、卵を割ったら黄身が出てくるようなもの。成功してたら出会っていた人々を議論から外してそんなことを言うなら、ろきちゃんはそんなのには賛同できない。無理やりハッピーエンドに繋げたいだけ。ハッピーエンドじゃないことを、バッドエンドを重ねて少しずつ死に向かっていく。それでも、事実に大きく解釈を加えて、バッドエンドをハッピーエンドと見紛うくらいなら、ハッピーエンドに持っていけなかった自分を悔やむ方がろきちゃんは清々しくて好きだ。
それもこれも全部、エンタメが青春ハッピーエンドの上に成り立っているからだ。だから、ハッピーエンドを押し付けられる。「商業的青春解釈論」ね。
ハッピーエンドなんかなくたって、人々の生き方は美しいし、カッコいい。そんなことを見えにくくしている形のエンタメが嫌いだ。誰か早く作ってくれ。誰も幸せにならない、でも確かなる生活の映画を、誰か見せてくれ。
やっぱり、ハッピーエンドなんてどこにもいないのに誰かが存在を指摘した、生きるための都合合わせでしかない。
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