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あるあるじゃねぇよ

「昨日さ、授業中先生のこと呼ぼうとしたら、母さん!って言っちゃってさ」
「うわー、めっちゃあるあるじゃん」

あるあるじゃないよ。これは、ろきちゃん固有のたった一度きりの大事な経験だよ。

人生は意外とありきたりなことしか起きないし、ありきたりな言葉で埋もれてしまう。どんなに惜別の別れでも、一番最後に伝えたいことは「ありがとう」とか「また会おう」とかありきたりな言葉だ。でも、それはありきたりな言葉ではあっても、ありきたりな別れや経験ではない。その「ありがとう」には、その人(たち)の思い出がぎっしりと詰まっている。ろきちゃんは、そんな「ありがとう」をありきたりな言葉程度で収めたくはない。

でも、ろきちゃんたち芸人は「あるある」というジャンルのお笑いに非常に助かっている。皆んなが共通して経験している出来事があるおかげで、共感の笑いを頂けたりする。種々のSNSでは、それを出汁に使って有名になっている人たちもいる。素晴らしいことだ。まず、その「あるある」に気づくというのは特殊技能だ。日常に溢れる出来事は、日常に埋もれてしまう。その埋蔵金を掘り上げて、皆さんにお披露目する。それはとんでもなく偉大な事だ。

「あるある」があまりにも日常の言葉として浸透してしまった。珍しい経験をしたと思って、意気揚々とエピソードトークをしても「あー、あるあるね」と言われることがある。そうなの?これ、あるあるだったの?知らなかった。もちろん、これはろきちゃんが良くない。ベタな話をしてしまったということ。ひどくつまらない話を。しかもそのことに気づいていないのだ。お笑いに従事しているというのに、あちゃー。それと同時に、襲いかかってくるこの違和感。おい待てよ。「あるある」って言えば何となく丸く収まると思ってねぇか?誰かの言葉を借りてその場をなんとなくまとめ上げようとしてるだけじゃないのか。

マラソン大会で一緒に走ろう。も。合唱コンクールで女子が男子に注意すること。も。卒業証書の筒で遊ぶこと。も。勉強してないって嘘をつくこと。も。SNSで話しかけてくるのにリアルでは全然話しかけてこない人。も。大学生の髪型マッシュ。も。どれもどれもたった一度きりの、その人特有の大事な思い出に違いない。

確かに、その経験を覆う皮は「あるある」かもしれない。でも、その中には大事な大事な記憶が詰まっている。それを簡単にあるあるに陥れるな。類型に嵌め込むな。コミュニケーションを簡略化するな。分かりやすいものに当てはめて理解した気になるな。何が潜んでいるのか、考えようとしろ。

もっとよく見てやれよ。全然あるあるじゃねぇからな。

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