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キンモクセイの匂いに誘われて

ある秋の朝、自転車に乗って家を出た。

特に当てもなく、近所の小川沿いの遊歩道を、ただ川上の方へ走っていく。
空はよく晴れ、空気は澄んで、すがすがしい。

ふと、子どものころ、よくサイクリングしたことを思い出した。
あのとき、何の目的もなく、ただひたすら道を進んでいくのが楽しかったな。

遊歩道を走っていると、ときどき、キンモクセイの匂いがする。

やがて遊歩道の終点につくと、そこからはキンモクセイの匂いがする方へ。

国分寺のキンモクセイ並木を通り過ぎると、その先に殿ヶ谷戸庭園。
庭園に入るのかと思ったけど、身体はそのまま漕ぎ続け、庭園を通り過ぎる。

そのうち、武蔵国分寺公園の手前に来た。
公園の通り沿いにはキンモクセイの木がところどころに植わっていて、その匂いに誘われて、やってきていた。
この公園に入るのかなと思ったけど、身体はそのまま漕ぎ続け、公園を通り過ぎる。

そのあとも、キンモクセイの匂いに誘われながら、いくつもの場所を通り過ぎていく。

国立あたりで、十字路にさしかかったとき、ふと脇道の先、遠くに富士山がくっきり見えた。
別に富士山まで行く気もないのに、今度は富士山が気になって、ただそちらの方に向かってみたり。
その道の行き止まりに当たって、富士山が見えなくなったら、また思い出したかのようにキンモクセイの匂いにする方へ。

いつのまにか、立川昭和記念公園の前に来ていた。

その日の午前、箱根駅伝の予選会があって、サイクリングコースには入れなかったみたいだけど、
着いたころには、予選会も終わっていて、ちょうどサイクリングコースのゲートが開くところだった。
これもタイミングだと思って、サイクリングコースに入る。

サイクリングコースに入ってからも、ただ走っていく。
このあたりでは、キンモクセイの匂いはもうなかった。
けど、途中、ふと甘い匂いが漂っているところがあった。
何の花か気になったので、そこで自転車を止め、匂いの元を探した。

匂いを辿っていく途中、通り過ぎたキンモクセイはどれもすっかり花を散らせていて、根本には淡いオレンジの花びらが積もっていた。

そうして辿り着いたのは、ヒイラギモクセイという、葉はヒイラギみたいにトゲトゲで、花は白色の、キンモクセイのような小さな花をつけた木。

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キンモクセイのように甘い匂いだけど、キンモクセイの少しフワッと膨らんで浮くような、軽い感じの甘さと違って、しっとりとした、肌に粘性を感じさせるような匂いで、どちらかというとクチナシの匂いに近い感じ。

キンモクセイの匂いが苦手な人もいる。その上、身にまとわりつくような甘ったるさ となると、さらに苦手な人が多そうだけど、僕は、花の匂いも人との触れ合いも、そんな とろみ のある甘さが好きだ。

その甘い匂いにひたって、結局、陽が傾くまで そこで佇んでいた。

ヒイラギモクセイの花は散り始めていた。風に吹かれて落ちてきた花が、下のアスファルトの上に散っていた。

落ちた花びらを眺めているうちに、指でつまんで集めてみた。
だけど、いっこうに埒が明かない。
それで、近くの草むらから刈られた草を拾ってきて、それを束にして箒にし、落ちた花びらを掃き集めて、ビニール袋に入れ始めた。

「こんなところで『効率』なんて考えるあたりが、まだまだ いやらしいよなぁ」って思ったりもして、心の中で苦笑した。

まぁ、そうやって拳二個分くらいの花びらを袋に集めたら、だいぶ匂いがした。
袋の口を縛って、リュックに入れて、持ち帰る。

家に着いて、リュックを開けたら、袋から漏れ出た甘い匂いが、リュックの中に充ちていた。
匂い袋を枕元に置いて、寝るまで匂いを味わっていた。

この日、何も決めずに出かけたけど、
やりたいことを全部やったような気がした。

翌朝、袋を開けたら、すっかり匂いは消えてしまっていたけど、充実感の余韻があった。

~ * ~ * ~ * ~

家の中にいても、
家の外に出ても、
その日その日、
気の向くままに過ごす

僕の毎日は、
こんな他愛もないことばかりです。

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