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今日、本当に大切で大好きだったかつての仲間から“嫌われる勇気”を心に刻みます。

ロゴフコーチの成功体験請負人あじまです。
最初に、言い訳をしておきます。

この作文は、まとまらないと思います。当然、起承転結、理路整然となど無理です。

なぜなら、今、とても心がざわついているから。でも、今その時だと思ったから、記憶じゃ消えてしまうから、残しておきたいと強く思ったから記録しておきます。

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僕は今48歳。
3年前に22年間勤めた生まれ育った町の役場を退職し、今に至ります。

退職してからの3年間は、先ず研修講師を志し、成り、昨年の4月に個人事業から法人を設立しました。
その間の称号(どんな人)は、主任研究員(研修講師)→代表(研修講師)→代表取締役(不詳)→CSM(成功体験請負人)

法人を設立し、地方自治体とそこに勤める職員の皆さんをメインターゲットにした時に“全国に267万人以上いる地方公務員にシアワセを問い、全員シアワセにする”をミッションに掲げました。

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“全員シアワセにする”

「それって、現実的なの?」
この1年間に何度も尋ねられました。
「はい、できます。」
いつも同じ熱量で答えてきました。

そのココロは…
今日初めて僕のココロから手放します。
「私は、地方公務員の方々をココロから尊敬しているし、信じているからです。」
「皆さん、誰でもシアワセになっていいし、なることができる。ただ、遠回りしているだけ。」

ううん、これはとてもビジネス寄りな言い方。
その核にあるのは…
「過去に一緒に働いた仲間が、大切で本当に大好きだったから。そして今も。」
僕はとても、ううん“死んでしまうんじゃないかってくらいシアワセでした”
(そういう表現がしたくなるくらいの仲間でした。)

どんなにシアワセだったかのエビデンスはこちら。

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僕が退職する日に、仲間がホワイトボードに“落書き”してくれました。
庁舎内の4人に1人ぐらいは書いてくれたみたい。
追記→(“承認欲求の塊”を今、自覚しました。)

これに触れるたびに、捨てたもの(捨てちゃいないけど!そんなふうに思いたくなる)の大きさと、戻れない絶望感に苛まれるのです。
解ってますよ!辞めたのは自分、決めたのは自分。

本当に大切で、大好きなのです。
僕が、ビジネスパーソンとして生きた証、まさに。

彼らと“そういう”関係を築くことができた僕は、きっと267万人とだってそういう関係を築くことができて、一緒にシアワセになれる。
だからできます。
(でした。)

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この4月から、いよいよ、深く自治体の組織開発(人材育成)に関わらせていただくようになって、想いが確信に変わりました。

「皆さんはシアワセになれる」
ゼッタイ。

ゴールの設定は間違いがなかった。
ただ、その手段としての目標が思っていたそれとは違ったのです。

地方公務員の皆さんが、あるべき状態(シアワセ)に近づくために必要なのは、僕と仲良しになって気持ちいい状態になることなのではなくて、試練を支援を受けながら乗り越え、自己をアップデートしていくこと。
なのです。

つい最近、かつて仲間じゃなかった方にこんなことを言われました。
「あなたは、ずっと、あなたが好きで、いいね!って言ってくれる、仲間とだけやってきたから、現実が見えていない」

その時は、ただただ悲しかった。そして虚しかった。
怒りや、否定をその言葉に向けることはできたのだろうけれど、そうはできなかった。
認めてしまうようで。認めてしまうと、全部消えてしまいそうで。

でも、その言葉は、今やっと自分のなかで活かすことができる気がしています。
“そのココロ”をアップデートしなければならない。

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私は、かつて役場職員だった時に築いた仲間との関わり合いの状態では、267万人のことはシアワセにはできない。
気づきが必要。

あの、関わり合いは正解だったのか?
あの、言葉は正しかったのか?
大切だと感じたのは、あるべき状態に必要だったのか?
大好きなのは、生産性を阻害していなかったのか?

答えは、NOです。
NO。
NO。
NO。

今、ココロが欲している言葉。
「いいわけなんて、なんぼでもできる」
「きっと、救いの言葉をくれる」

きっと、かつての仲間は、あったかい言葉で紡いでくれると思います、縦と横の糸で僕の傷を庇ってくれるでしょう。

しかし、私がやるべきなのは、彼らの中に存在しない言葉で動機付け、洒落ていないけれど最大効率の傷の庇い方で支援することなのです。

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「あじまさん、なんか変わったね。」
きっと、そう言われなければ、支援するものとしてのたどり着く場所には行けないのだと思う。

腹を括らないといけないのだと思う。

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「それはそれ、これはこれ。」
そんなふうに言われるか。

僕にとっての「嫌われる勇気」は、
「自分の囚われから自分を開放する勇気」なのかもしれない。


今後、ちゃんと追記、修正していきます。
初稿 2021/07/20

最後までお読みいただきありがとうございました!あなたのココロに波紋を起こせたとしたらとてもシアワセです。次の記事も楽しみにしていただけるとしたら、そりゃ、もう、頑張ります!!