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2023年11月の日記。

2023年11月は各種イベントであっという間に終わってしまった。
嬉しかったことも悲しかったことも色々あってここ最近で、この11月が一番よく涙を流したかもしれない。

大学院ゼミ

①フィールド報告サロン

長期のフィールドワークから帰国した先輩たちが、フィールドで見てきたこと感じたこと興味深かったこと気にかかったことなどをカジュアルに話すゼミ、フィールド報告サロンがあった。
まだ発表する側になっていないため、この報告サロンで発表することが発表者にとってどんな知的恩恵をもたらすのかは体感できてはない。しかし、聞く側としてはとても楽しいイベントだ。先輩たちが出会ったことや、彼/彼女らの視点(カメラで捉えたもの)は非常に面白い。

前回も今回のフィールド報告サロンでも「コロナがあって予定通りできない期間」「政治状況によりできなくなってしまったこと」が触れられていた。人類学はより人の日々の生活と密接に関係してしまうために、そういう部分が大きな打撃になることが興味深い点でもあり、研究を困難にする点でもあることを考えさせられた。

②私の担当回

今月は私の発表担当の月だった。
前回はイマイチな発表をしてしまったが、今回は現在の状況を話すことができて良かった。いろんな見知からのアドバイスをもらえたのがとても良かった。ようやくこの発表の上手い利用の仕方を少しわかったような気がした。

③教員セミナー

新任の先生がこれまでの自身の研究と現在の研究について話をするゼミが、教員セミナーだ。これがまたとても満足度の高いものだった。

今回お話ししてくださった先生の授業に参加したことがあるため、現在の研究については聞いたことがあったけどこれまでの研究、つまり博論の時からの研究、は聞いたことがなかった。発表自体もとても良かったのだが、それ以上に在籍している教員からの質疑応答の時間がとても豊かだった。知性溢れるゼミだった。

冠婚葬祭

冠婚葬祭は一度にやってくると聞いたことがあるが、本当に一度にやってきた。

少し前につぶやいたが、文化の日には兄の結婚式があった。

大変幸せな日だった。
朝早くから着付けとヘアセットのために出かける必要があり、早歩きで昔のことを思い出しながら目をうるうるさせながら最寄りに向かった。兄夫婦を太陽も全力で祝福しているかのような天気の良さだった。

結婚式があればお葬式もあるのが人生だ。
大切な人が亡くなった。
長らく患っていたしそれに知った時からなるべく会うようにもしていたのもあって、そのお知らせが来たときは悲しさや喪失感ではなく、「ついにこの日が来たか」の気持ちだった。看病や介護していた人たちには「ご苦労様」の気持ちになった。その人の人柄か「お通夜の雰囲気」というのは全くなく、みんなで料理を囲んで夜遅くまで大笑いしながら語り合ったお通夜だった。

そうは言っても、その翌日のお葬式、出棺、火葬場への出席は心に来るものがあった。火葬場に一緒に向かった人と行きながら、「良い人生だったかな?」「満足に生きられたかな?」と話し合いながら、泣いていた。


人類学をやっている限り、日々、いろんな地域の冠婚葬祭や人の生死を論文や民族誌のなかで出会うことになる。論文は筆者の感情などは関係なく、論文として平坦に書くことが求められる。無論、その形式をぶち壊そうとした論文も存在する。
しかしながら、この度ごく身近な人びとの冠婚葬祭を体験して、人類学者たちがいかに心情を抑えて論文に昇華しているのかが感じ取れたような気がした。
この世に生まれたらいつか寿命が絶える。そんなことは自然の摂理だし、わかっている。いや、わかっているつもりだったのかもしれない。

色濃い11月だった。おわり。


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