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パン屋さんでパンを買えない話。

パン屋が好きだ。学生時代にバイトしていたこともあるし、中学生の頃はパン屋での職場体験を選んだ。一時期、クリームパンに凝っていて、いろんなパン屋のクリームパンを買って食べ比べをした。

しかしこのところ、パン屋に入っても買わずに帰ってくることがしばしばある。


お腹が減っている私はパン屋に向かう。パン屋に行くために、遠回りになっていても、「パン屋さんでパン買お〜」と思ってパン屋に入る。

「焼き立てのにおいする〜美味しそう」「あ、中から新しいのが出てきた〜」「これも良いなぁ」「どれにしようかなぁ」

ここまでは順調だ。


「これも美味しそうだな」「カレーパンを買うなら、もう1つはクルミパンとかがいいな」「甘いパン/甘いパンの組み合わせにならないように買おう」

とか思って、パンを眺めている。心はウキウキだ。

しかし、眺める時間が長くなればなるほど、だんだんパンへの気持ちが薄れてくる。

「2つ買ったら500円超えるのか」「500円超えるなら、もっとあったかくてカロリーあるものがいいなぁ」「パン2つじゃお腹空くよな」「近所のスーパーでパンはもう値引きされてるかもな」「いやいや、家に帰ったら夜ご飯の時間になるしやめようかな」

そんなことを思っているときにはすでに手に持っていたトングやトレーは元の位置に戻している。店員さんにトレーとトングを渡して「また来ます〜」とか言って買うのをやめてしまうときもある。


「また、パン買えなかったな。」


と思いながら足早にパン屋を去る。

決して財布にお金がなくてパンが買えないわけじゃない。パンに魅力がないわけでもない。お腹が減ってないわけでもない。

勇気がないのだ。パンを買う勇気が。

ただ単に美味しそうなのを選べばいいだけのことなのに、どうしてしまったものかと自分でも思う。

いつかパン屋でパンが買える日がまた来るだろう。来てほしい。


どうでもいい日記だ。「パン」と何回言ったかを数えたくなるくらいに、どうでもいい話だ。昨日と今日はデュルケームの『社会学的方法の規準』の日本語版と英語版を読み比べていた。フランス語が読めないから、原著には辿り着けないのが私の欠点だ。日本語版は難解な漢字語が散見されるが英語版よりなんかあっさりしすぎているように思えて、何を信じればいいのかがわからなくなっている。あと、これまで「日本語訳が良くないから英語で読んだ方がわかりやすい」と言う旨の発言をする人に、全く共感ができなかったが、なんとなくその気持ちも理解できるようになってきた。2021年1月14日。

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