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デリーからアフマダバードそしてガンディナガルへ

12月12日(日)、羽田空港を出発してデリー国際空港に到着した。機内食は2回食べた。隣は空席だったため、広々とふたつの席を使って映画を見たり、本を読んだり、勉強したり、寝たりして過ごした。大変に優雅な時間だった。

デリーに到着した頃にはすっかり夜になっていた。一晩、デリーに滞在することにしていたため、まずはホテルへ移動だ。

ここに至るまでにもいろいろあった。

最終的な航空券を買うまでの道のり

最初に航空券を買ったときは、

「成田→クアラルンプール→デリー」乗り換えて「デリー→アフマダバード」

の予定だった。しかし、コロナ禍だ。クアラルンプール経由の便は欠航になった。そうなると、デリーでの乗り換えの時間も変わってくる。インド国内便を日本〜インド直行便の時間に合わせて変更する。デリー〜アフマダバード間の便を変更しようとしたら、私が乗ろうとしていた飛行機はキャンセルされていた。

新しくなった予定は、

「羽田→デリー」その日のうちに乗り換えて「デリー→アフマダバード」

にした。すると次は、大学スタッフからは「インド入国時に全員がPCR検査を受けなければいけない」*と連絡が来る。大使館スタッフからは「言い忘れていたが、夜遅くに到着する便は避けてくれ」との通達。これは困った。空港で5-6時間待機となるとデリー〜アフマダバードの最終便には乗れないし、結局夜にアフマダバードに到着するのは避けたほうがよさそうだし、ということで再度予約のし直しだ。

「羽田→デリー」<デリーで一泊>「デリー→アフマダバード」

になった。


最初からこうしていればよかったのだろう。私の中では大混乱だった。移動にあまりお金を使いたくはないし、今回はデリーに用事もないし長くもいれないのにデリーでたくさんお金は使いたくないし。でも、使わないことには何もできないし。。*実際には入国時にPCR検査を受けることはなかった。

In デリー市内

さて、デリーに到着した私は次はホテルに向かう。空港から出たら「タクシー乗らないか?」の声がたくさんあるだろうから、空港から近いホテルで自分で行けるように準備していた。空港から近いはずだし、booking.comの道案内地図を見てもそんなに遠くはなさそうだった。いざ、外へ。


案の定、タクシーの客引きがたくさんきた。断っても断っても付いてくる。私はどう見ても外国人だし、大荷物だし仕方がないのだろう。観念してタクシーに乗ることにした。もっと外が明るかったら歩いて外まで出てリキシャーを捕まえることもできただろうな。

タクシーに乗って数分、運転手は全く違うホテルで私を降ろした。これはマジで意味わからず、久々にブチギレ案件だった。

「なんでここのホテルなの?」『近くていいホテルだから』「は?」ホテルの人に予約した画面を見せて「ここのホテルか?」[いいえ、違います。ここだと一泊、4000Rsですけどどう?]「嫌です。ホテル予約してるから。」[いくら?]「1500Rs」[じゃあ、2000Rsでどう?]「いやいや、泊まらないのよ。タクシー運転手、ちゃんと送り届けなさいよ!wi-fi借りてもいい?」[ホテルに泊まらないからダメ]「じゃぁ予約したホテル行く。なんでここで降ろしたの?」そんな感じだった。

そんなこんなで、予約していたホテルにたどり着いた。ホテルはクレジットカードが使えるかと思っていたが、国際的なクレジットカードは使えないと言われる。現金で払うことにする。そうすると、タクシー代が現金で払えなくなってしまった。ホテル前で運転手に待ってもらう。すると、運転手は最初に提示した金額より大幅に値を上げて請求してきた。数字のヒンディー語を少しだけ覚えていたこともあり、「それは違う!」と訂正した。しかし、私の反論は今の状況を何も変えられない。結局インド人の友人に助けを求めることになった。


空港でタクシーには乗らないほうがいい。どうにかこうにか、友人に迎えに来てもらうなりしたほうがよかった。友人には必ずお礼をしよう。まだまだ現金が必要だ。現金は十分用意していこう。

In デリー空港国内線出発口

デリーで朝を迎え、昼の飛行機でアフマダバードに向かう。ホテルから空港まではタクシーで移動した。ホテルに来たタクシーに乗った。前日の約10分の1の金額だった。町中のタクシーは良心的だ。


空港に着いた途端、「チップが必要なお手伝い」みたいな人が私の荷物を持って「ついてこい」と言う。意味がわからず荷物を運ばせた私も悪いが、「外国人っぽい人」には同じような黄色い服装のチップを払って働いてくれるお手伝いが付いてくるようだった。

空港に着いたら荷物がどうも重くて追加料金を払わなければいけなくなった。預け入れの荷物の重さを軽くして、手荷物の数を増やしたらいい。そうすれば、重量オーバーの料金は少なく済む。ということだった。空港で荷物を入れ替え、超過料金が安く済むようにした。黄色い服装のお手伝いにチップを払って、出発だ。彼はよく働いてくれた。しかし、今後はこんなことがないようにしたい。

In アフマダバード空港〜ガンディナガル

アフマダバード行きの飛行機は1時間遅れていた。Simカードを持っていないのと、デリー空港のwi-fiの弱さで大学スタッフに連絡ができなかった。

アフマダバードに到着したら出口で大学スタッフが私の名前を書いたA4の紙を持って待っていた。やっと信じられる人の元に辿り着いたような気がした。スタッフの人たちは私を女子学生向けのホステルまで連れて行ってくれた。


ルームメイトは3人だ。同じ部屋に4人で住んでいるが、自己隔離はどうなったのかはわからない。一応、PCR検査は陰性だったし、ワクチンは接種していることをルームメイトには伝えた。大学からは自己隔離をするように言われているため、2週間後から大学に通うことになる。


ルームメイトはいい人たちだ。今のところ、唯一の安心できる空間はホステルの自分の部屋と自分の部屋のあるフロアだけだ。大学に行くようになれば何か居場所ができるだろう。ルームメイトと私は英語で話すことが主だが、みんなはヒンディーとグジャラーティーのちゃんぽんで話している。


ガンディナガルは暑い。日中は27度くらいある。朝や夜は13度くらいで温度差の影響で寒く感じるが、日の当たるところには行かないのが吉だ。本気で暑い。日中の太陽が高い時間には部屋の中にいることだ。

そんなこんなで、ガンディナガル生活が幕を開けた。大学に通うことができるようになるのは12月27日からだ。早く行きたいが、どうやっていけばいいんだろか、これから調べなければだ。


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