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両親の介護をする両親と暮らした記録:4人の祖父母と孫の私

3月31日金曜日。明日から新年度になる。
来年度からは4人の祖父母とはしばしのお別れとなる。

インドから帰国して地元にもどり待ち受けていたのは、4人の老齢の祖父母と彼らを介護する両親だった。静かに自室で博士後期試験の準備をしたり、研究をどんどん進めたりする時間になるだろうと思っていたが、予想以上に介護や介護者へのケアに時間が必要だった。

4人の祖父母と孫の私

と言っても、孫の私にできることなどほとんどない。
祖父のスマホを一緒に買いに行ったり、スマホを設定したり使い方を説明したり、病院の通院の付き添いをしたり、薬を貰いに行ったり、祖母の新しい服を買いに行ってみたり、座っている祖父母に一方的に話しかけてみたり、最近の出来事の話をしたり、そんなことしかできない。

実質的なおむつを変えたり、服を着替えさせたり、ご飯を食べさせたり、洗濯物を洗ったり、薬の管理をしたりはできない。これらに専門の仕事があるように、やはり素人には難しい。家族ならいろんな感情が相まって尚更難しいように感じる。

ただ服を着替えるだけなのに、肘の位置や相手の身体の可動範囲を把握してなければ、なかなか服も着させられない。
ご飯を食べるのだってそうだ。出来立てのものは「熱い!」と言われる、冷ませば「冷たい!」、ちょっとこぼしたら「こぼれた!拭いて!」だ。「そんなに言うなら自分で食べてくれ!!」の気持ちも湧いてくる。

しかし、楽しいことや嬉しいこともある。
田んぼの作業に行ったときは、座って作業を見守る祖父の横に座り、思い出話を聞く。ひとつひとつの作業の意味を聞いてみたりする。病院の待合のテレビに映っている旅行番組を眺めながら、今まで行った旅行の思い出話をしてみる。

花見に一緒に行ったのはたいそう喜んでくれた。
その後、花見のことを地域新聞に投稿したら掲載された。
それも合わせて喜んでくれた。

ただ一緒に時間を過ごしただけだが、両祖父母はとても楽しかったようだ。

両親の介護をする両親のケア

孫の私には、介護をしている両親のケアをするという、重要な役割があったようには思う。うまくできていたかどうかはわからない。

介護にかかりっきりになった日や祖父母らと出かけた日には、どんな様子だったのかを聞く。病院に連れていった日には、祖父母が大丈夫だったのか聞く。

祖父母に対しても両親に対しても孫の役割は話を聞くことしかない。
聞くことしか役目はないが、「親の介護」は相談したり共感しあったりできる人がいなければとても孤独な仕事のように思う。誰かに評価してもらえるわけでもないし、介護事情はとてもプライベートな出来事が多すぎて誰彼構わず話ができる話題でもない。

他方で、介護する側が体調不良になってしまうと、介護をされている側は本当に生活が止まってしまう。洗濯物は滞り、着る服はなくなる。おむつやゴミ袋などの消耗品が補充されていない状況が続くとどうしようもなくなる。

それでいて、仕事を続けながら家族の介護をするとなると、もう大変だ。
次回のnoteでは「介護離職」について触れている。

もし、今、あなたの両親が彼らの親の介護をしているなら、なんとなくでいいから話し相手になってあげてほしい。少し話を聞くだけで、介護する側の心が穏やかになるんではないかと思う。


さて、冒頭に述べたように、4人の祖父母とも介護している両親とも、しばしのお別れになる。みんなの落ち着いた生活ができる限り長く続くことを遠くから応援している。家族介護の現場に立ち会えたのはとてもいい機会だった。
今後もできる限り関わり続けようと思っている。「また明日来るわ〜」と大きな声では言えないが、なるべく駆けつけられたらいいな。


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