7年半へのピリオドと8月31日

2020年8月28日(金)、安倍首相が辞意を表明した。

8月17日に慶應大学病院に行き、24日に再び大学病院を訪れていた。この時点から、そろそろ辞任するのでは?と多くの国民はなんとなく感じていただろう。

内田樹がTwitterで新聞社から総理辞意表明の可能性が高く、「安倍政権の総括」の予定稿を依頼されたと呟いているのを見かけて、辞任に向けた準備が着々と進んでいることが伺えた。(内田樹が「予定稿頼まれた」とか言ってしまうのは、言いたい気持ちはわかるがドラマのオチを先に言われてしまったような気持ちになって残念ではあった。)

そして、金曜日の17時。ついに、会見で安倍首相本人から辞意表明がなされた。



嬉しかった。ようやく終わった。

辞意の理由はともかく、ようやく辞めてくれた。


長期政権は腐敗するのがお決まりではあるが、この7年半不祥事ばかりだった。不祥事が起きても、尻尾切りをして、いつもの文言で謝罪会見をする。

失言をしても、法を犯しても、嘘をついても、誤魔化しても、謝罪会見をすれば全て消えて無くなる。国民はいつか忘れてくれるだろうから、と思われていたのだろう。


忘れるわけがない。

特定秘密保護法が強行採決されたとき(2013年12月6日)は、日本は民主主義国家ではなかったんだと思わされた。安全保障関連法案も強行採決されたとき(2015年7月15日)には、この国に明るい未来なんてないと思った。

1人の国民の私が落胆しようと、失望しようと、安倍政権は終わらなかった。

「安倍さん以外に総理にふさわしい人なんていないじゃん」という人はいるし、批判をすれば「安倍さんが嫌いなだけでしょ」とあしらわれ、「批判するなら対案を出せよ」とか言ってくる人もいた。国会でまともに議論もできない人に対案なんて出しても無駄なのに。。。

質疑応答も用意しておいたものだけしかできない。原稿を用意しておいても漢字は読み間違える。なんなら、原稿はコピペ同然のものだったりもする。こんな総理に総理の資質があるのか。ないだろ。

総理の脇を固める人たちも同じくらい罪深い。公文書を改竄したり、破棄したり、議事録を残さなかったり、開示請求をしても真っ黒で提出したり、しかもそれを「間違ったことはしていない」というような口ぶりで誤魔化す。


森友、加計、桜を見る会は特にきちんと裁かれるべきだ。安倍総理は「私や妻が関係していたということになれば、それはもう間違いなく総理大臣も国会議員もやめる」と発言していた。安倍昭恵氏を含む、安倍政権下で「総理のお友達」だった人たちが今後のうのうと国会議員を続けていたり、裁かれもせず普通に暮らしていると思うだけで気分が悪い。一掃されなければいけないのだ。



次期総裁選が始まろうとしている。菅官房長官が優勢だという。菅が総理になってしまったら、安倍政権のムードが引き継がれるだろう。それではよくないような気がする。

連日のニュースを見ていると、一国の総理を選ぶタイミングであるのに、コロナの封じ込めや停滞してしまった経済をどうするのかという議論ではなく、誰が自民党内で権力があるかということだけで進められている。

それでいいのか?こんな状況だからこそ真剣に開かれた議論をして決めるべきではないのか。


とにもかくにも、次の総理大臣は嘘をつかない人がいい。国民のことを考えてくれる人がいい。国民は総理を選ぶことはできないが。


今日で8月が終わる。9月になったらこのどんよりした感じが変わればいいし、希望の光が差し込めばいい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?