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死神と大罪。 韓国ドラマ 「トッケビ〜君がくれた愛しい日々〜」vol.3

死神と大罪。

ドラマ「トッケビ」のふたつめのストーリ。死神はなぜ死神になったのか。


死神の仕事

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人間が死んだときに黒いスーツと黒いハットで身を包んだ死神が「名簿」を持ってくる。死んだ人にしかハットを被った死神は見えない。人は死んだ場所で、死神に死んだ時刻と年齢、名前を呼ばれ自身が死んだことを悟る。

その後、死神の茶房に行き、「現世の記憶を消すお茶」を飲む。現世の記憶を消したくなくても、死神から「神からの配慮だ」と言われ、死者は「お茶」を飲む。

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死んだ人間に「現世の記憶を消すお茶」をすすめ、次の行くべき場所を説明し見送る。まれに「現世の記憶を消すお茶」を渡されない人もいる。それは、現世での記憶を残したまま罪を償い続けよ、というメッセージを伝えるためである。これが、死神の仕事だ。


死神に適任な人物

では、死神はどのような人物なのか。

「死神は前世で大罪を犯したものがなる」と劇中では何度も言われる。

しかし、死神自身は、前世の記憶と名前、自分自身にまつわる記憶を全て消されている。そのため、自分の「本当の名前」さえわからない。職場での名前と自身が死神である、ということしか自分自身に関する情報はない。

このことが原因で、死神はサニーとデートに行っていろんなことを聞かれても何も答えることができず苦しんでいた。

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では、「前世で犯した大罪」とは何か。
筆者自身はドラマ「トッケビ」を見ながら、これが大変興味深かった。

先に答えを述べておくと、

「前世で犯した大罪」それは、

「自分自身を殺すこと」すなわち「自殺」だ。


トッケビ(キム・シン)と同居することになった死神は、高麗時代の若き王ワン・ユであることがドラマの終盤で判明する。

ワン・ユはキム・シンが連戦連勝してくる中で、キム・シンに嫉妬する。ワン・ユの妻はキム・シンの妹。

若き王ワン・ユは側近のパク・チュンホに、キム・シンは逆賊であると吹き込まれ、それを信じてしまう。その結果、キム・シンと彼の家族、そして自身の妻であるキム・シンの妹をも王命により殺す。


その後、ワン・ユの生活は荒れ果てる。

側近らが王の体調不良を気遣って「煎じ茶」を飲ませ続ける。しかし、この「煎じ茶」には毒が入れられていた。しばらくしてから、毒が入れられていたことをワン・ユが気づく。

ワン・ユは誰にも愛されていないと思うようになり、自分自身さえ愛せなくなる。そしてある日、「煎じ茶」をいつも持ってくる女中*に、毒が入っていることに気がついていること、そして、もっと毒を入れてすぐ死ねるようにすることを頼む。(*この女中はのちに自分を責め、現世では美人な死神として登場する。)

そして、ワン・ユは「煎じ茶」を飲んで死ぬ。


ここで、毒が入っていることに気がついていないふりをして「煎じ茶」により死んでいたらワン・ユは現世において死神にはならなかった。

しかし、彼は自分自身で「生きること」をやめる選択をした。

ここが「大罪」なのだ。

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死神が仕事終える日

死神にも「最後の仕事の日」がやってくる。それは、人間と死者の間の存在ではなく、成仏するということだ。

  • 前世の大罪が何であるかに気がつくこと

  • 自身の前世がわかること

そして、

  • 現世でもっと生きたい、現世を楽しみたい、自分の命を大切にしたいと思うこと

これらの事柄が備わったとき、死神は「最後の仕事の日」をむかえる。


死神はトッケビになったキム・シンやその花嫁ウンタク、ドクファといろんなことがあるが乗り越えながら楽しく生活をしていた。

そして、何より、サニーに出会い、恋をした。サニーが高麗時代に愛しきれなかった自身の妻の来世であることに気がつき、人間らしく幸せに生きたいと思ってしまった。このことが、死神を成仏させるに至らせたのだった。

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感想:死神と大罪

ここからは筆者の感想だ。

「自殺」が「大罪」であること

「自殺」が「大罪」であることが、とても、仏教的というか東アジア的な感覚のように感じられた。

まず、キリスト教的な要素は感じられない。そして、解脱やカルマの雰囲気が感じられるが、インド的な仏教の発想ではない。*どちらかというと、東アジアの仏教観だ。

インド的な発想の場合、「タクシー運転手の子はタクシー運転手」というようにカルマとは別に職業に関するカースト的要素が入ってくる。そのため、来世が良くなるように現世を一生懸命に生きるのは当然のことなのだが、それが、来世が良くなるように!ということに合わせて、来世が今より悪くならないように!の側面がある。これは「諦めた先の希望」と呼ばれることがままある。「自殺」は称賛されることではないが、「大罪」とまではいかない*。そして、「死神」という発想にはならないと考えられる。


「死神」という役どころ

「死神」という役どころも、面白い。

「死神」が「茶房」で「記憶を消すお茶」をすすめるのだ。

なんとも、奇妙な光景である。

おそらくではあるが、韓国的には「死神」の存在が認められているから、このようなキャラクターで受け入れられるのだろう。ドラマ「トッケビ」には[老婆/赤色の女性]が出てくるが、これも韓国的な神話を由来としていた。

土着の信仰やその地域に広く知られた神話をモチーフに作品を作ると、今回のドラマのように、ストーリー上ではやや説明的な場面が増えてはしまう。しかし、それをとっても、「トッケビ」は雑音の少ない、時代ごとの出来事、変わっていくものと変わらないもの、受け継がれるものがわかりやすく表現されていた。

ラブロマンスな話であることや、時空を超えたファンタジーだから、すんなり受け入れられるところもあるだろうが。

おわりに

まとまりのない感想になってしまった。時間があるときに、もう一度見直して加筆修正できればと思う。今回はこれにて終了とする。

韓国ドラマは久しぶりに一気見すると時間はかかるが、それ以上に幸せになれるので心が荒んだ時はおすすめだ。心が荒まなくともおすすめだ。

ドラマ「トッケビ」は細かいこだわりがどっしりある。1話1話、シーンごとにまだまだ謎解きができそうな作品であった。おもしろかった。


**追記

この記事を投稿して、数年立った。今日は2023年10月だ。vol.2と同様に長らく読んでいただけて嬉しい限りである。

私の感想部分に訂正線を引いた。ここの部分は、当時の私がそう思っていただけで、やや勘違いだったことが最近明らかになった。

インドでは現在、自殺は違法な出来事になっていたりもする。それを踏まえると「大罪ではない」とは言えない。また、ドラマの「トッケビ」のカルマ的要素は古典的なインド系宗教のものとは異なるが、「カルマ」はインド発祥の宗教的信仰であるため、ここも言い切れることではない、と判断した。
以上のことから二つの部分に訂正線を引いた。

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