見出し画像

【本の記録】リーペレス・ファビオ『ストレンジャーの人類学』

今回は『ストレンジャーの人類学』だ。一般向けではない。移民研究、人類学、社会学、教育学のいずれかをやっている人には新たな研究の一つとして読むことをおすすめする。

また、自分自身が「帰国子女」「移民」「ハーフ」というカテゴリーで縛られ困難に感じた経験がある人や親の都合で幼い頃から世界中を転々としてきた人にとっては共感できたり、生き方の参考になったりするだろう。

著者:リーペレス、ファビオ

リーペレス、ファビオ(Lee Perez Fabio)
2019年、東北大学大学院文学研究科博士後期3年の課程修了。博士(文学)。専攻は、文化人類学。現在は東北大学大学院文学研究科文化人類学研究室、助教。

生い立ち:外交官の母と共に幼い頃から国際移動をしており、韓国、メキシコ、日本、マレーシア、アメリカ、カナダでの居住経験がある。母親はメキシコ人、父親は韓国人。日本で小学校教育を受け、マレーシアと韓国の日本人学校で中学校教育を受けた。その後、韓国のインターナショナルスクールで英語による高等教育を受け、単身アメリカに渡り大学の学部を卒業した。メキシコで就職をし、カナダ、日本で仕事をした後、日本の大学院に進学した。日本語・英語・スペイン語を扱う。

概要

本書は、5人の「ストレンジャー」のライフヒストリーを辿ることで、幼少期から複数の国家、言語、文化を跨いで生きる人びとが、どのように「差異」と向き合い、自己・他者認識を行い、「他者」と関わっているのか、すなわち、いかに「折り合い」をつけているのかを考察している。

分析の視点として4つの事柄を提示する。移動先の社会の側による周縁化と受容(A)、移動する個人の側からの「渡り越え」と「橋がけ」(B)、個人の側での接触の断念・失敗・ためらい(C)、それら3つを総合する視点として「差異の折り合い」(D)の視点だ。ストレンジャー論、コスモポリタニズム、文化相対主義について先行研究を整理した後、事例をもとに再検討している。

先行研究の課題/事例から考えられること

ストレンジャー論(p25-30)
課題1:5人の「ストレンジャー」は、どのような意味でストレンジャーか
課題2:ホスト社会との関係性において、5人はバウマンの言うように、ホスト社会における自他の峻別基準を曖昧化させ、ホスト社会の人びとに混乱と不安を感じさせるようなストレンジャーであるのかを明らかにすること
課題3:どのようにストレンジャーとして生きているのかを明らかにすること

> 5人の「ストレンジャー」は、どの社会でも、遠方と近辺、放浪と定着、馴染み深さと異質さというジンメルの言う3つの相反する特質を示していた。他方で、パークのいう「マージナルマン(marginal man)」とは言えない。
> 5人はホスト社会の「文化の型」を身に付けてはいるが、ホスト社会の人々の自他の峻別基準を乱すストレンジャーであり続けた。
> 5人のストレンジャーは3つのタイプに分けることができる(後述)。

コスモポリタニズム(p.30-32)
課題(マロッタへの批判):5人の「ストレンジャー」は従来のコスモポリタニズム研究で指摘されているような、他者との関わりを保とうとする意欲を示しているかどうかを探る

> 5人は、選択的に、寛容であったり、非寛容であったり、態度を変えている(p.298)

文化相対主義をめぐる議論(p.32-35)
課題(浜本の4つの文化相対主義類型との比較検討):5人の「ストレンジャー」は、何を「差異」と捉え誰を「他者」と認識するか、その他者の持つ差異に対してどのような姿勢を示すのか。5人の文化の捉え方を明らかにする。

> 5人が単一の文化を「自文化」と見なし、他の諸文化に対してエスノセントリックに拒絶あるいは蔑視しているわけではない
> 「ストレンジャー」が実践している文化相対主義は、より正確には「自省型マルチエスノセントリズム(Self-Reflective Multi-Ethnocentrism)」と呼べるのではないか(p300)

4つの分析視点:「差異の折り合い」

 クロミダスの言う “successful crossing” とは裏腹に、いわば “unsuccessful crossing” が少なくないこと、そしてその結果「渡り越え」が断念される場合がある。(p292)
 「他者」との「差異」の「折り合い」を試みるのだが、「折り合い」がつかない場合もある。その場合は、一方的に譲歩することもあるが、衝突することもある。意図的に関係づくりを拒否するという選択を行う場合もある。(p292)
 「周囲との交友関係が築けない、または他者の持つ「差異」に無関心になってしまう事例は従来の研究でも指摘されているが、その原因は、しばしば「人種」「言語」「価値観」の相違に還元されてきた(Murphy-Lejeune 2002; 藤田 2008; Amit 2013; 加藤 2009)。しかし、本書の5人のストレンジャーの場合は、むしろ個人的な関わりの経緯と、滞在期間の短さが重要な要因であることを示している」(p.294)

感想と気になったこと

この研究の特徴は研究対象にある。移民や「ハーフ」を対象にした研究はこれまでにもなされてきた。しかし、多くの場合、人々が「原点」になる場所から、1箇所の移動先国へ移動する様が取り扱われてきた。他方、本研究の「ストレンジャー」たちは世界各地を転々としている。子どもの頃は親に連れられ移動し、大きくなってからは自ら移動することを選択し移動している。

このような人たちは、量的調査などの統計では現れないように思われる。統計や国勢調査をする際に想定されている「移民」や「ハーフ」は、一つの場所から一つの場所に移動する人たちのみであるからだ。それも重なって「ストレンジャー」たちは「ホスト社会の人々の自他の峻別基準を乱す」存在に感じられるのだろう。

当事者でもある著者にしかできなかった研究である。読者に「ストレンジャー」の存在を示したことにこの研究の大きな意義がある。


他方、当事者研究の難しさも感じた。というのも、著者リーペレスの生い立ちからも「ストレンジャー」であることはわかるのだが、5人の「ストレンジャー」をタイプ別に分けたときに、「ファビオはみんなとは違うんだ!」という意気込みが強調されすぎているように思われた。何度も言うが、みんなと違うのはわかる。わかるんだけど、「ストレンジャー」として登場してくる人たちも、「みんなと私は違うんだ!」という想いがあるような気がしてならない。

(1)複雑な移動の遍歴と言語能力を持ち、複数の「文化の型」を身に付けているタイプ
(2)両親の国籍が異なり、混淆的な外見的特徴を持つハイブリッドであり、複雑な移動の遍歴と言語能力を持ち、複数の「文化の型」を身に付け、「何者か」を装うタイプ
(3)両親の国籍が異なり、混淆的な外見的特徴を持つハイブリッドであり、複雑な移動の遍歴と言語能力を持ち、複数の「文化の型」を身に付け、「何者か」を装う能力を持ち、さらにそのアンビバレントな特徴によってホスト社会の人々に混乱と不安をもたらしうるタイプ

3つのタイプがあるという部分は本当に3つに分けられるのか、この分け方が適当なのか。また、タイプごとに分ける必要があるのか、これを示すことで何か意味があるのかも含めて今後に期待したい。例えば、5人以外の「ストレンジャー」と出会うことでまた違うものが観れるのではないかと感じた。


従来、周囲との交友関係が築けない原因が「人種」「言語」「価値観」の相違に還元されてきた。しかし、ここではむしろ個人的な関わりの経緯と滞在期間の短さが重要な要因であることが指摘されていた。

これには、大いに同意する。そうだと私も思う。私は、卒論で東京近郊の在留インド人を対象に研究をしていたときに、食事様式と滞在期間は大いにリンクしていると考えていた。つまり、ベジタリアンを貫くのか、やや寛容になってくるのか、ノンベジになるのかという点において滞在期間や職場での立場が関係しており、それすなわち、交友関係がどうかということも繋がっていた。


新しく出版される民族誌や博論をもとにした本はハラハラドキドキして好きだ。学部3年生のときに、研究会で知り合った院生に「最近は民族誌の「おわりに」を読むだけで、胸がぐっと突き刺さるようで、涙出てきそうになるんだよね」と話をされたことがある。この気持ちが、数年前からよくわかる。様々な葛藤や困難があってこの博論は出来上がっていて、それがまた、本になった、ということに喜びがあるんだろうなと勝手に想像してしまう。

先行研究の部分だけでも勉強になるし、事例部分は日本で暮らす「ハーフ」「帰国子女」の枠組みで呼ばれたり、自称したりしている人の何かしらの助けになるんではないかと思われる。一読の価値がある。おもしろかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?