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*2019年からの日記*

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なにかあったときに書く日記。
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#研究

2023年10月の日記。

11月も11日経ってしまったが、10月の日記だ。 あっという間にハロウィンも終わってクリスマスの準備期間に突入してしまっている。相変わらず、毎月何かの締め切りに追われる院生LIFEを送っている。 院生読書会:ブリュノ・ラトゥール『社会的なものを組み直す』10月からブリュノ・ラトゥールの『社会的なものを組み直す:アクターネットワーク理論入門』をコツコツ読み進めている。 学部生の時からラトゥールの本はよく買っていて、自宅本棚には『虚構の「近代」』『諸世界の戦争』『法が作られて

2023年9月の日記。

9月も今日で最終日だ。 一昨日と昨日は帰路に見た月がとても綺麗だった。 韓国は秋夕(チュソク)で中国は国慶節のシーズンだ。 日本の国立大学はだいたい8月9月が夏休みで、新学期は10月からだ。9月中盤にもなると「夏休み」にも飽きてはくるが、授業が始まれば忙殺され気がつけば年内の締切のものをウッタラカッタラしてることが容易に想像できて、「夏休み終わってほしくない!!!」の気持ちが込み上げてきたりもする。 研究発表会への参加9月末に研究会での発表があり、それに向けた準備に勤しんだ

2023年6月の日記。

1ヶ月があっという間に終わった。 このまま1年も2年も5年も10年も過ぎ去っていくのかと思うと若干の恐怖がある。 博士課程学生生活も慣れてきて、全体ゼミで先輩方の研究を聞くのも楽しめているような気がする。最初の頃は「役に立たない発言や馬鹿な発言は控えよう」の気持ちが強く、全体ゼミで発言する勇気が全くなかった。 しかし、その気持ちにも変化が出てきた。 というのも、やはり参加しておきながら何も発言せず聞いて帰るだけだと、その時間が無駄になるような気がしたからだ。無駄というか、

2023年5月の日記。

6月に突入して4日も経ってしまった。 5月は某申請書の1ヶ月だった。 どう評価されるのかはわからないけど、どうか幸運が私を選んで欲しい。 この申請書は「社会に役に立つ研究として書くこと」「受かるための書き方がある」「書き方の研究をする必要がある」とか「最後は運だ」とも言われる。 これに時間とエネルギーを割くぐらいなら、その集中力で論文を読んだり研究を進めるのがいい、とかそういうことも言われる。 この申請書への批判や苦言がSNS上で飛び交ってるのを直視することになるのだが、

あの日見た夢と昨日の出来事。

インドにいるときに、ホストファミリーの風邪を全身で受け止めたために私も一緒に風邪をひいた。ゆっくり休むようにと言われ、手持ちの風邪薬とスパイスの効いた白湯を飲んでしばらく寝ていた。 私は同僚と歩いていた。同僚は深刻そうで、でも晴れやかそうにも見える面持ちだった。同僚は同年代で容姿端麗で頭のキレるスマートな女性研究者らしい。彼女は私に告げた。 「もう研究やめようと思う。やめて就職するよ。」 と。 『そっか。そっか。就職するのか。それもいいよね』 と微笑み返すことがせい

百科事典が届いた!

2020年2月頃に私自身が修士論文で研究対象として扱っていた人びとの古典的な研究から現在の研究までをひとつにまとめた百科事典が出版されていた。 それが欲しかった。 しかし、定価で€299/$359だから、およそ4万円だ。 個人で買える値段ではないし、個人で買うものでもない。 本代や資料代が天から降ってくるわけでもないから買えない。大学の図書館に推薦したかったが、できずに修了してしまった。地域の公立図書館は専門書を推薦しても、公共性が低いため受け入れてはもらえない。

「今しかできないことをやらないとね」

いつも、夜12時から2時くらいのあいだにnotoを更新しているが、昨晩はそれが叶わなかった。ラップトップは開いてたが、何もかけず寝てしまった。毎日日を跨いだ時間に更新していたのが功を奏して、システム上の連続更新記録は途絶えていないはずだ。 昨日は、新たなボスとボスのパートナーと一緒に夕食を食べた。 久しぶりに自分の研究のことを話し、他の研究者の現在の研究の話を聞いた。 研究の話を聞くのはいつの日も楽しい。 全く知らない世界がそこにあり、それについて楽しそうに一生懸命話