マガジンのカバー画像

*2019年からの日記*

159
なにかあったときに書く日記。
運営しているクリエイター

2019年4月の記事一覧

平成が終わる。「区切り」をつけても過去は変えられない。

今日しか書けないことを書かなければ。 2019年4月30日(火)。今日をもって、「平成」は終わる。 明日、2019年5月1日(水)からは、「令和」になる。 街では、「平成最後の==!」「平成30年を振り返ろう!」「令和への抱負は?」で溢れている。 正直、うざい。なんで、私はこんなに改元が喜べないのか、わくわくしないのか。 おそらく、この出来事自体に理解ができてないからだ。ずっと、政治ショーを見せられているような気持ちで、それに踊らされてる人がいっぱいいて、それと一緒

OKAMOTO'Sが好き。

今年で10周年をむかえるOKAMOTO'S。 タイトルの通り、私、OKAMOTO'Sが凄い好きだ。 MV見ていたら、なんだかわからないけど、いろいろ込み上げてきて涙が止まらないし、端的に、凄い良かったんです。 そして、レイジさんのTwitterでの呟きを見て、 「OKAMOTO'Sのファンでよかったな」 って改めて思った。ファンに優しいバンドだなとも思った。 好きが前面に出すぎて、きちんとした文章になるのか、不安ではあるけども、いざ、書こう。今日は好きなことを好き!ってい

わからないことを「ここがわからない」と聞けること。

今日はすてきな人に出会った。 彼は4月からの新入生だ。4月も中旬になるが、まだまだ慣れないことばかりのようだ。 彼のすてきなところは、 わからないことがあったとき「ここのここがわからない」 と細かく質問してくるところだ。 ご存知かとは思うが、これは、なかなか難しいことだ。 わからないことがたくさんある。 しかし、まずは、誰に聞けばいいのかがわからない。聞いて怒られたらどうしよう。バカな質問だと思われたらどうしよう。適当にあしらわれるかもしれない。はて、この人は答

「病み」から脱する方法は書くか、読むかのいずれか。

研究そのものは楽しいし、ワクワクしたり、キラキラしていたり、うっとりしていたりもする。 しかし、忙しいときは忙しいし、苦しいときは苦しい。 みんながみんなそうとは言い切れないが、院生なんてメンタルはいつも崖っぷちだ。私は勝手にそう思っている。 2時間考えても、一文さえ書けない日。 1日かけて、3ページしか読めなかった日。 書いて、読み直して、書き直して、読み直して、削除して、白紙に戻って。 こういう日が続くと「マジで病む」やつだ。 病んでいる場合でもないので、とりあえ

歯ばかりが綺麗になる

以前、私はnoteに、「歩いているときに考え事をしていることが多い」とつぶやいた。気がする。 帰宅時は夜だからか、危機迫れば迫るほどに、早歩きになり、歩いているだけで涙が出てきたりする。自分の不甲斐なさに泣けてくるのだろう。 こんな感じだから、歩いている時の考え事は、割とネガティブで非生産的なことを考えていることがわかる。もっと、生産的なことを考えているときはいつなのか。 最近気がついた。 歯磨きをしているときだ。 やらなければいけないこと、書き上げなければいけない

待たせたな、研究室よ。

今日からまた研究室通いの日々がついに、ついに、幕を開けた。 「春休み」は終わった。待たせたな、研究室よ。 やっぱ、大学院はいいところだ。楽しい。好きなんだよなぁ。 小学生の頃は夏休みが得意じゃなかった。さっさと夏休みなんて終わればいいと思っていた。家でダラダラしたり、兄妹や幼馴染とキャンプに行ったりするのは最高に楽しかった。けど、だんだん飽きてくるのだ。何もない日が続くし、宿題はめんどい。週末のプラネタリウムと博物館、学校の図書館の開館日が潤いだった。 高校時代は勉強

世界の共通言語は?

高橋優さんの曲「福笑い」の歌詞には とある。 歌詞全体はとても心温まるもので、私も是非ともそうであってほしいと思っているのだが、現実はそうではない。 笑顔にはいろんな意味がある。というのも、「笑顔」の受け取り方は地域/状況によって違いがある。 こちらは、ただニッコリ笑った、だけでも、相手は「バカにされた」「笑われた」と受け取るかもしれない。いつでも/どこでも、「笑顔」は「良い意味」をもったものとして受け取ってもらえるとは限らない。 だから、やはり、英語は必要なのだ。

「おかえり」と「ただいま」のあたたかさ

出かけるときには「行ってきます」「行ってらっしゃい」 帰ってきたときには「おかえり」「ただいま」 これのあたたかさは尋常ではない。 特に、「おかえり」と「ただいま」は格別だ。 一人暮らし生活にはほとんどこれはない。出かけるときは家に向かって、「行ってきます」。帰宅し、「ただいま」と玄関で言い、自分で「おかえり」と返答をする。カラッカラだ。粉吹き芋より乾パンより乾いている。 だからこそかもしれない。 帰国したとき、帰宅したとき、拠点に戻ったとき、誰かに「おかえり」と

毎日昼寝をしてもいい環境に身を置きたい。

本日をもって、当たり前のように昼寝をする環境から離れる。 明日からは、昼寝をするのにもこっそりしなければならない。 昼寝をしているところを見られて、「また、寝てるの?」と言われるかもしれない。昼寝をせず、バリバリ何かをしている人を見て、「私は寝てばっかりだな」と自分自身が嫌になるかもしれない。 しかし、どうしても、昼寝を自分の生活ルーティンに組み込みたい。 1時間もなくていい、20分でいいから昼寝をしたい。涼しいところじゃなくていい、弱めのファンが回って少し汗ばむくら

「ずっと、いつか声をかけようと思っていて、、、」

今、私には、足繁く通っているところがある。毎日同じルート、同じ時間帯にそこに行く。そこでは、私は異質でしかない存在だ。 毎日通っていると以前からそこに通っている人たちに気がつかれるようになり、2週間もすれば、お互いに「あ、今日も来てるな」と認識し合えるようになる。 毎日同じことの繰り返しだが、今日は少し動きがあった。 私が用件を済ませ帰ろうと思い靴置き場に向かう。すると、よく見かける夫婦が玄関の椅子に座っている。「おじさんとおばさん、座ってるな」と思い靴を取ろうとした時