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私にとまれ

 老若男女がまじりあう町中を、ヒールの音を立てて歩くのは好きだった。けれど今の私のヒールの音に反応してこちらを見てくる奴らは、大嫌いだ。

 定められたスーツを着て、髪の毛を黒く染めて、洒落っ気のない靴を履かされて歩く私は就活生。最初は色々な仕事を知れる楽しい社会見学のような気分だった。けれど次第に面接官の色眼鏡で勝手に私の人生の答え合わせをされている気分になっていった。趣味の話をすれば面接官は私を馬鹿にしたような顔をし、率直な私の意見を言えば弊社の方針にそぐわないと言われ、大好きだったバイトをしょうがなく辞めたと話せば、仕事から逃げた根性なしと烙印を押してきた。

 会社は自分たちの意見を素直に聞き利益をもたらす社員が欲しい。でも私は利益も大切にしたいし自分の気持ちも殺したくない。会社の利益になっても、客に少しでもデメリットをもたらすなら、そんな仕事はしたくないのだ。

 でも最近、それは屁理屈なんだと分かってきた。どんな仕事にもマイナスな面はあり、私の意見や個性は社会には不必要だ。多数の幸せのために働く。それが社会人だ。

――じゃあ、私が私である理由はなんだ?
――私がこの社会で出来ること、私しかできないことはないのだろうか。

 スーツを着て髪の毛も華美な色に染めている男性4人組が、私のヒールの音で振り返る。きっと入学式なんだろう。なぜか話しかけられたが、今の私はここ数年で一番機嫌が悪い。舌打ちをして一言悪口を彼らに渡してから去った。普段の私なら、愛想よく断っていただろう。

 面接を何度か経験して知ったが、私は表面的にはしっかりしていて真面目で愛想がいい人間だとみられるらしい。胡散臭い人事の人間にきちんと挨拶をして、最大に敬意を払い張りぼてのようなやる気を見せ、得られたものは入社したくない企業の内定と疲労。

――もう嫌だ。

 ぶらぶらと街を徘徊して、いい加減足も疲れた。大体、どうして就活生は窮屈なスーツを着て黒いヒールの靴を履かなければいけないんだ。みんな同じような服装にすれば、内面の個性を炙り出せるとでも思っているのだろうか。バカバカしい。

 私はミスもするし覚えも悪い。でも誰よりも努力できるし誰よりも自分の仕事を愛せるし、誰よりも幸せになれるんだ。

 疲弊して鈍った脳みそではそんな思考にしかならず、私の心が消耗されていく。このままではだめだ、と私は憩いを求めてスマホを取り出した。しかし、私のオアシスはここ数日のいざこざで私から遠ざかっているらしい。疲れすぎてオアシスを求めて追いかける気にもならない。
 
 スマホを閉じて、また歩き始めた。人に期待するのは疲れるし、恋愛は特に心が振り回される。あまり喧嘩もいざこざも少ない私たちだけど、今の私は彼に対して疑心暗鬼を抱く。

――どうせ、私のこと面倒くさいって思っているんだろうな。
――もう私のこと好きじゃないかもしれない。
――最近全然好きって言ってくれないし。
――私ばっかり会いたいみたいじゃん。

 女は面倒くさい。私はあまり感情的ではないし冷静な方だけど、女の嫌な所を煮詰めてプリンのカラメルにして容器の底に沈めたみたいな人間だ。
 
 はぁ、とため息をついてふと顔を上げると美術館が目に入った。元々絵や綺麗なものは好きだ。入館料が安いことを確認して、私は美術館に入館した。

 美術館には20作品ぐらい絵が展示されていた。油絵が多く、私は作品一つ一つをじっくり見ていった。昔は水彩画が好きだった。けれど最近は油絵の方が魅力的に感じる。

 絵は離れた方が綺麗に見える。恋愛みたいだな、なんて思いながらも絵の世界観にどっぷりとのめりこんだ。

 しばらくして絵の鑑賞を終えた。下の階にも展示があると知り下の階に降りると、その階には蝶の標本がいくつも飾られていた。

 私は虫は嫌いだが、蝶は好きだった。初めて蝶の標本を見た時に、羽の美しさを知りながら得体のしれない気持ち悪さを感じたことに対して、何故か背徳感を覚えた。

 やはり蝶は美しいな、と標本を見て思った。でも、いつも私は蝶を見るたびにシを連想してしまう。それはシんで標本となった蝶ばかりを見ているからなのか、それとも美しさとシに相互関係があると思い込んでいるからなのか。

 ぼーっと蝶を眺めて、彼ならこの蝶を見てなんと言うだろう、と思いを起こしていた。そしてそんな自分に呆れた。私はあまりにも恋愛下手で、生きることも下手くそだ。彼はきっと私ことをそんなに思い起こすことはないだろうし、私の方が彼のことを好きだろうし、そんな事実にムカつく。

 いい女は彼のことで頭をいっぱいにしないし、自分を優先するし、彼に愛されようと努力なんてしない。私と真逆だ。私は彼にもっと好きになって欲しくて、構って欲しくて彼ともっと時間を共にしたいと思ってしまう。私は面倒くさい、本当に面倒くさい。彼がそんなことを望んでくれていないかもしれないのに。

『君のやりたいことは、弊社とはちょっと違うね』
『それはダルい』
『誠に残念ながら貴意に添いかねる結果となりました』
『弊社を志望した理由は?』

――五月蠅い、五月蠅い。
 私を否定する人、私を要らないという会社。そんな人、そんな会社はこっちから願い下げだと私は叫びたい。でもそれは、まるで標本にするためにピンを指される時にする無駄な抵抗のよう。もうすでに私の心は殺され始めている。負けたくないと思う時点で、もう負けている。

 蝶はメスよりオスの方が綺麗なことがある。人間とは逆だ。モルフォ蝶の透き通るような美しい羽根を見て、涙が一滴落ちる。

 生まれ変わったら蝶になりたい、美しい蝶に。

 でも蝶は自分の美しさにきっと気がついていない。ならば、もしかして私も誰かにとっては羨ましいほど美しいのかもしれない。

 最近無理にポジティブに考える癖がある。それは私が根っからネガティブだからだろう。大人になり、ネガティブに考える余裕すらなくなった。そんなに心が耐えられなくなった。

 美しくなりたい、蝶のように。

 そんな戯言も全て生理前だから。

 みんなみんな、大っ嫌いだ。

 

 
 



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「最近、好きってあんまり言ってくれないよね」

「そう? 大好きってばっかり言ってるからね」

「もっと。足りないもん」

「それは、ずるいよ」

 何がずるいのか、ちっともわからない。本当に足りないし、計算してないし、嘘もついてないし。

 本当にあなたに愛されたいだけだし、お腹痛いし。

 嗚呼、馬鹿馬鹿しい。

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