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ジャニーズ問題に隠れる違和感2

ジャニーズ問題を冷静に見つめよう

史上最大の人権侵害事案として世間を騒がし続けているジャニーズ問題だが、メディアの報じる情報は自らも当事者の一面があることからだろうか、明らかに公平さに欠けている。都合の良い情報だけ選別し誤誘導すら生み出していると言わざるを得ないのではないだろうか。

確かに問題の根が深く再発防止を目指すべきだが、この状態では覚束ないだろう。2回目の会見までの状況で、推論交え少々情報を整理したい。

まず2回目の会見で明らかになった重大事項は、ジャニーズの名称をなくすことなどではなく、藤島ジュリー景子氏が代表権を失い、従って多額の相続税を支払うことになり、被害者への補償が完了次第会社は清算するということである。

これは被害者側が無限にむしゃぶりつくそうと考えていたのならば、補償の財源が有限になり、しかもかなり縮小してしまうという実態なのだろう。だから、不足だから国に加われという無茶苦茶な要求まで出されていると容易に想像できる。

会社が存続し、その売り上げの一部も補償に当て続ける形態が成立すれば、長期にわたってむしゃぶりつくす形になるのだが、所詮それはあり得ない責任の取り方だったのだ。

藤島ジュリー景子氏にしてみれば、法を超えた賠償を行うと言ってみたものの、恐らく要求がどんどんエスカレートしてくる状況の中、経営継続は断念し、手元資金をある程度確保して静かに暮らすためにも、多額の相続税を支払ってでもすべて清算する道を選択したと考えると話は理解できる。そうせざるをえないまでに追い込まれたということだろう。

そもそも現時点で加害者は全員死亡しており、司法で裁けない。それゆえ遺族と遺した会社が法を超える補償を行うと宣言したに過ぎない。いわば民事の範囲である。そして被害者側の証言だけで、被疑者は死人に口なし状態で弁明は一切できない状態で罪の全容が明らかにできるはずがない。これでは、いわば中世の魔女裁判と同じである。

それでも遺族含めた両者合意による示談として補償が行われることは問題ない。だが、被害者側の要求が度を超え、被害の事実認定などで問題が膨らみ、到底合意できない状況で決断されたと考えるべきだろう。

<性加害事案が成立できる構造>

現在、被害者が訴えている性被害が全て真実だったとすれば、故人の単独で犯行が行えるほど事は簡単ではないだろう。

のべ何百人もの被害者を生み出す過程で、犯行場所は周囲の協力なくして難しいのではないだろうか。それだけの被害が発生しているなら、発覚していただろう。実際、暴露本や週刊誌報道も情報発信しているのだ。NHKが特別な部屋を用意していたとの情報もある。見て見ぬふりしていた大勢が、テレビ局、マスメディア、同業他社、そして大勢のタレントに存在するはずだが、今なぜ口をつぐむのか、それらを加害に加担したとして糾弾する動きはなぜ起きない。

更に言えば、この性被害が発生しえる環境は、この行為を受け入れてデビューしたアイドルも存在すると考えないと筋が通らない。それも相当多いはずだ。それらののし上がったアイドルがこの犯罪を成立させる環境を生み出していたと考えるべきだろう。

ジャニーズの名前を葬るとか、そんな話ではなく、その手段を使ってのし上がったのなら、例え実際は自分自身の能力で活躍できたとしても、行為を受け入れていたのならば、公表し、自ら律するのが私には当然と思える。少なくとも合意の上、利用したともいえる故人を悪く言うのは憚るべきではないだろうか。

この性被害事案の再発防止を目指すならば、このような犯罪を成立させる構造を炙り出し、全容を明らかにしない限り、無理だろう。このままでは、単なるきれいごとの誤魔化しで、トカゲのしっぽを切るために、都合よく反論できない人間を血祭りにあげているだけに過ぎない。これでは再発どころか、業界内で常態化しているかもしれない同様事案の掘り起こしすらできないだろう。

<危機コミュニケーション>

次に会見における危機管理である。

会見の仕切りを任された企業が、指名しないリストを保有していたことが発覚し、一斉攻撃を受けている。

まずはっきりしておこう。このようなブラックリストを保有し、会見をスムーズに進行し、ダメージコントロールをするのは危機管理の視点で考えれば当たり前のことである。当然シナリオは用意されていて、想定問答も準備された状態で、ダメージをコントロールしようと思えば、それこそ昔の総会屋対策的なコントロールは必要不可欠になる。実際、問題のリストに載っていただろう人物の中には、国会審議も妨害する様な行為を繰り返しており、秩序を保とうとするのは当然だろう。

問題があるとすれば、会見の主催社の意向として、指名は公平に行うように事前に指示があったようなので、それに従って指名されたかどうか、当該者の発言が行われたかどうかが問題なのである。

では実際の会見を見直してみよう。間違いなくリストに載っているだろう人物は発言している。それも普通の発言ではなく会を混乱させるほど、場をわきまえず、静止を無視して、傍若無人な発言を繰り返している。だからブラックリストに載せられるのだろうが、それでも発言はしているのだ。何が問題だろうか?

逆にこのようなその場の秩序を乱す行動は、他の良識ある発言者の権利を侵害するのであり、その場でも子供も見ているのだからルールを守ってほしいと諫められていることを棚上げにしてはならないだろう。

他のメディアもこのリストの存在を攻撃する側に回っているように見えるが、どの口が言うのだろうかと神経を疑う。実際自分達も普通に行っているだろうに。

例えば、東京都小池知事の定例会見をメディアの皆さんはどのように仕切っているか。

あの場では、知事の気に入らない質問はほとんど出さないのは有名である。気に入らない質問をした社は、その後指名されなくなるからだと言われている。ジャニーズを責めるならば、なぜ小池都知事を糾弾しない。どう考えても明らかに質問事項が当たり障りない儀式化している様にしか見えず、言い訳しようがないのだから。

強いものには阿り口を塞ぎ、弱いものには嵩に懸かってつぶしに行く姿勢、あまりにも卑劣に感じるのは私だけだろうか。

ただ危機コミュニケーションの視点で問題視するならば、指名しないリストを保有している映像を撮らせていることは正直いって、余りにお粗末である。敢えて見せたのではないだろうかとすら思えるぐらい、あり得ないのだ。わざとだったとすれば、どのような目的があったのだろうか?


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