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追記 - After Reports - 栃木・巴波川

 「爪跡と生活 - Life with Disaster -」のシリーズを始めて第8回を数えるわけだが、取材したすべての被災地が単独の記事になるほどのボリュームを備えているわけではない。小さい氾濫・越水から、表にはそのようには見えなくとも大きな建屋全体がダメになる被害をもたらした河川もある。
 数々の氾濫した河川を撮影させてもらったわけだが、実は最初に取材した河川は第1回の記事の永野川ではない。同じ栃木市を流れる巴波川(うずまがわ)の越水地域を撮影したのがこのシリーズの始まりだった。

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 巴波川は栃木市の中心を流れ、「蔵の街」栃木を代表するアイコンのような川だ。栃木市川原田町の白地沼を水源とし、同市内の旧藤岡町にて渡良瀬川と合流する。その一部は市街中心部の歴史ある蔵が立ち並ぶ景観の中を緩やかに流れる。

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 この蔵の街を象徴するのが屋形船と遊覧船だ。古い蔵が集まる倭町(やまとまち)を中心に、往復約1kmを20分ほどの時間をかけて、ゆっくりと巴波川をのぼりくだりする。遊覧船が往復するうずま公園からその上流にかけては住民の憩いの場でもあり、じゃがいも入り焼きそばの店などグルメ系のショップも多く、年間4万人の観光客が訪れる栃木市の観光スポットだ。

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 その巴波川も2019年10月12日20時45分頃、扇島(嘉右衛門橋付近)にて溢水を記録。周辺住宅地にも汚泥が押し寄せた。
 「蔵の街遊覧船」の屋形船は台風に備えて通常よりも上流側に係留していたが、それでも折からの強風で橋げたへと衝突し、屋根が剥がれたり障子が破れたりと船体を大きく破損した。船底に孔が開いている可能性もあり、修復にはかなりの費用が見込まれた。
 増水によって川の水位をコントロールする堰の動力室も浸水し、設備が故障。それによって川は台風のなすがままとなり、増水の影響で中州には大量の土砂が溜まって水が引いた後の船舶の航行を大きく妨げることとなった。

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 周辺にも大量の水が流れ出しの多く観光地・住宅地が浸水。被災翌日からは相当量の災害ゴミが巴波川の周辺に仮置きされた。ボランティアなどの協力もあり、巴波川近辺の住宅地の災害ゴミは(永野川近辺と比較すれば、だが)比較的早期に片付いたようだ。昨年12月に訪れた際には、倭町付近は平穏を取り戻していたかに見える。

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 しかしよく観察すると、浸水被害が大きい観光施設は臨時休業が続き、古い蔵自体も修復作業が完了していなかった。橋にも増水の痕跡である大量の漂着物が付着し、被災当日の水量が想像される。放置されたまま浸水した廃車や川に沈んだ標識など、小さな痕跡を見逃さなければ、普段は穏やかな巴波川も牙を剥いたことがわかるだろう。

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 そんな巴波川も、応急対応として栃木土木事務所が11月に50mの長さを超える堆積した川の土砂を撤去し、翌月12月5日には遊覧船が約2か月ぶりに再開した。通常のシーズンであればこの2か月間の来客数は1万人を超え、最も書き入れ時のシーズンである。観光業としては大きな痛手であり、なお復旧には甚大な費用がかかることもあって緩やかな回復を望む意見もあったが、「どうしても遊覧船に乗りたい」という多くの要望の声にも後押しされ、早急な再開にこぎつけた。

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 巴波川の取材は最も早い時期に行ったにもかかわらず、なかなか記事にしなかったのは、他の河川の被害の大きさに圧倒されていたということも挙げられる。
 栃木県では「永野川・秋山川・荒川・思川・黒川」の県内5河川が改良復旧事業の対象に決まり、改良復興資金341億円の主な投入先として大きな予算が動くこととなった。
 田川と巴波川の氾濫は生活への影響は大きかったものの、上記5河川と比較して被害軽微とされ、また以前より水害対策工事の計画が進行していたこともあり「対策工法の継続」として認定された。取材をしていても、確かに上記5河川とは違って大きな崩落箇所も少ない(ないわけではない)。人口密集地ということもありボランティアなども多く集い、通常の生活に戻るもの早かったと言える。

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 しかし倭町周辺は大平川の永野川周辺の被災規模があまりにも大きかったため県内でもあまり報道されず、人知れず商業施設などの廃業が数多くあったということは紛れもない事実である。開店したばかりのラーメン店が浸水によって設備がダメになり、運転資金が底をつくことによって再開を断念するという事例は、老舗店が多く横の連携が強い佐野などと比べると、ことのほか多いようだ。

 そういった面をリアルタイムに取材できたわけでなかったことが、巴波川の記事を書くことに気後れを発生させた一因かもしれない。まあ言い訳である。被害の本質的なところまで踏み込めない忸怩たる思いが躊躇いを生むのだろう。

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 巴波川を含む7河川以外は、蛇尾川など崩落が激しい川でも「原則として原形復旧を目指す」という措置にとどまったことと比べれば、巴波川の措置は悪くない結果と言える。何にせよ予算には限りがあるものだ。すべてが思惑通りというわけにはいかない。
 事実、翌年2月に再訪した際は、国道50号線を跨ぐ地域において、重機を投入した復旧工事が進捗しつつあった。また一方、倭町近辺の流域においても、1月27日から同じく栃木土木事務所により本格的な土砂の撤去作業が開始。遊覧船も2月9まで休業とし、短期間での復旧を目指して急ピッチで土砂を浚う作業が進められていた。

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 この記事を書いている2020年4月現在、日本全国では新型コロナウィルスによる外出自粛が強く要請され、全国の観光業に大きなダメージを与えている。河川被害の復旧は進んでいるものの、「蔵の街遊覧船」も休業を余儀なくされている。
 まさしく泣きっ面に蜂だが、それは何も栃木市だけの問題ではない。何であれ乗り越えられた者だけが見られる風景を、我々は目指すしかない。

 5月は本来、巴波川にたくさんの鯉幟が掛けられる「うずまの鯉のぼり」の季節だ。今年はその風景を遊覧船から楽しむことはできないかもしれない。
 それでも鯉幟は風に揺蕩う。今年も。また来年も。

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