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爪跡と生活  - Life with Disaster - 水戸・那珂川篇

 季節はずれの暖かな如月の風が川面を吹き抜けていく。関東平野の北東のどん詰まり、雄大な茨城の大地を悠々と流れる那珂川の、その長い川幅を跨ぐ国田大橋から上流に目を向けると数十羽の鳶の群れが大空を旋回していた。広大な田畑を耕うんするトラクタが冬の惰眠を貪っていた蟲たちを地表に晒け出していく。それらを狙う狩猟者たちは、宙を周る優雅な飛行から一転、こぞって地上へと降りてはまた飛び立っていく。
 ほんの4か月前、一面のその畑は深い深い水の底だった。

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 2019年10月13日未明、茨城県水戸市にある常磐自動車道水戸北スマートインターチェンジ付近を襲った台風19号による氾濫は、今回の台風では全国でも最大となる水深およそ7.2mに達した。
 台風19号の被害が大きかった上位3県は宮城県・福島県・長野県であり、これら3県で日本全体の人的・物的被害の8割を超える。
 福島県の最大被害は阿武隈川だが、そこでの浸水の最大深度は国見川内付近で観測された5.2mだ。宮城県吉田川の氾濫では大郷町での4.5m、長野県の千曲川では、長野市にある新幹線車両センターで新幹線が十数両にわたって水没したショッキングな映像がテレビなどでも放送されたが、そこで観測された最大深度が4.3mである。
 これらと比較しても極めて深い浸水がこの水戸市において発生したことはもっと知られてよい事実であろう。

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 茨城県の県庁所在地である水戸市は人口約27万人。茨城県の中央よりやや東に位置し、首都圏から100kmほどの距離と便が良く、東には大洗海岸から臨む太平洋にもほど近い。西には筑波山もそびえ立つ。茨城県を象徴するような街だ。
 那珂川は水戸市の北側を流れ、藤井川・田野川などの支流と合流し、やや蛇行しながら南東へと流れていく。水戸市とひたちなか市との境として東へ進み、大洗町を臨んで太平洋へと注ぐ。
 その川幅は非常に広く、架かる橋長もかなりのものだ。国道349号線を北から水戸市街へと架け上がる万代橋の景色は圧巻ですらある。川面から市街までの高低差は20mほどもあろうか。

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 浸水の被害に遭った水戸北IC付近も高低差の大きい土地だ。最も低いと思われるIC入口の交差点から、渡里小学校などがある地域までの高低差は、同じ国道123号線沿いにもかかわらず約30mほどある。このかなりきつい勾配が深い浸水を生むきっかけとなった。
 今回の浸水により水戸北ICは50日もの長きにわたって通行不可能となった。ETCゲートなどの電子機器はもちろん、電源設備やデータセンターの建屋までもが甚大な被害を受けた。これらの復旧には数億円規模のコストがかかり、1日当たりの平均利用者数5,200台だったICが再び通り抜けられるようになったのは2019年12月2日になってからだ。

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 水戸市飯富町付近において、那珂川は支流である藤井川と合流する。また、藤井川との合流後に南へ500mほど下るとさらに田野川と合流する。これら2河川の合流地域の間に水戸北ICはある。国道123号線に連結された同ICは、水戸市内へと向かう国道の最も低い地点にあると言ってよい。これより南は渡里町となり、急激な上り坂となっているのだ。その谷にあたる部分に当ICやホームセンター「ジョイフル山新・渡里店」が存在する。

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 被災当日、那珂川と藤井川の合流地点である飯富町地区にて大規模越水が確認された。堤防を越えた激流は低い方へ低い方へと流れ、谷底の水戸北IC付近へとみるみるうちに溜まっていった。
 同じ頃、渡里町を流れる田野川の堤防が崩落。これはジョイフル山新の真後ろと言ってよい地点で、こちらからも大量の濁流が低い地点に向けて押し寄せてきた。田野川も藤井川も那珂川の支流であり、バックウォータ現象による越水・氾濫とみられている。
 もちろんこれにより、国道123号線はこの付近を含む全長4.6kmにわたって全面通行止めとなった。一面が水没した光景にホームセンターの看板だけが水面から顔を出しているというある種ディストピア的な映像がテレビやSNSを通じて全国へと伝えられたのはまだ記憶に新しい。

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 この近辺を歩いてみる。

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 まずは流れ出た水の圧力により押し倒されたガードレールが印象的だ。高速道路に連結することもあって、通常の道路よりも整備されている印象であるが、今は見るも無残な姿を冬の陽射しに現している。ところどころパイロンで近づかないよう区切られている。歩道であるにもかかわらず一目で崩落の危険が察せられ、誰も歩いたりはしない。
 IC付近の国道ではあちこちで復旧工事が始まっているが、堤防以外にもフレコンバッグで応急処置をした箇所が多くあり異様な光景だ。那珂川の河川敷には重機や漂流物の絡まった木々などが数多く残されものものしい。

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 浸水した建屋も多くある。まずは復旧を待つジョイフル山新だ。
 撮影当日はまだまだ業者の手が入っている途中であり、開店まではもう少し道のりがかかるだろうと予測された。実際に同店が営業を再開させたのは2020年3月19日からだ。およそ半年近くもの間、店舗は再開できず住民も不便を強いられたことになる。
 被災当日は床から4mもの深さまで浸水し、被害は床だけに及ばず壁や柱まで大きなダメージを受けた。洗浄はもちろん張替などの作業も多く、傷んだ商品の撤去や電源設備の回復など、被災した店舗の復旧には莫大な工程と費用がかけられた。

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 復旧を見込めない建屋も存在した。街道沿いに建つ歯科医院はブルーシートに覆われ、おそらく再建は不可能なのであろう、冬の冷たい風がその身を吹き抜けていった。周辺の道路も陥没し、浸水の最深部にほど近かったことを物語っている。
 ホームセンター裏手の田野川へ注ぐ農業用樋口では濁流に見舞われた痕跡がまだ残っていた。そこへの連絡用の階段も見る影もなく泥と枯れた葛に覆われている。ホームセンターのような大きい資本の一部であれば早い復興が見込まれるものの、個人宅や県管理の支流の周辺などはまだまだ手つかずの状態だ。

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 ホームセンターから少し西側へ行くと民家と田圃がある。こちらの田圃には濁流を受け止めきれずに民家から流れてきた漂着物がまだまだ残されていた。脱穀用の機械なのか大きめの冷蔵庫なのかはわからないが、1坪ほどの機械がその屍を横たえている。水戸市で今回発生した災害ゴミの量は約4万6千トン。茨城県全体の50%を優に超えている。
 瀬戸際まで流れたであろう激流は、民家自体にも被害を及ぼし、建屋の一部が崩れている家や、中には全壊している建屋も見受けられた。大きな農家なのであろうか、瓦屋根の立派な家屋がむごたらしい姿になり果てている。

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 茨城新聞によると、この付近の住民の中には災害当日、1階の荷物を2階へと移して被害を最小限に食い止めようと奮闘しておられた方もいたようだ。10月13日の未明から朝方にかけて作業を進めたものの、午前5時ごろには水深が家の床から1.5mまでに達したという。そこまで来てしまうと家財よりも命を守る方が優先だ。高低差が激しい土地である分、避難区域もまた近い。被災したこの住民の方は急ぎ高台まで避難したという。

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 幸運な例ばかりではなく、避難のタイミングを逃し孤立した住居も多かった。今回の浸水では住居が完全に水没してしまったケースも多く、自宅の2階で救助を待つ被災者も多数存在した。10月13日には自衛隊が水戸市での救助活動に参加。同日午前11頃からは地元の消防とともに順次ボートによる孤立した被災者の救助に当たった。こうして救助された被災者の人数は茨城県全体で約300名にものぼった。

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 これほどまでに大きな河川が一気に氾濫する様を我々は容易には想像できない。そういった精神的な備えのなさが被害を拡大させるのかもしれない。台風飛来時には田んぼの水などを確認しに行ってはいけないとあれほど報道されているにもかかわらず、ここ茨城県でも田んぼの水を確認しに行った男性1名が行方不明になっている。残念ながら、自分の身に降りかかるまでは「未曽有」というものがどういうものであるのか、人間にはイメージすることが難しいのかもしれない。

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 どんな想定であれ、ハード的な限界があるものはその上を超える状況がいつかはやって来る。それはわかっていても、それがいつなのか人間には確信できないのだ。我々が知らないというだけで、ブラックスワンは確実に存在している。
 羽根を持たない人間は地面に這いつくばって生きるしかない。たとえその地がすべて水に飲まれようとも。

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 このような激甚な水害に遭遇したにもかかわらず、幸いなことに水戸市では死者や行方不明者などの人的被害は発生しなかった。

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 2020年3月19日、5か月以上の長きにわたって臨時休業を強いられた「ジョイフル山新・渡里店」は無事開店を迎えられた。再開を待ち望んでいた付近住民約1,500人がこの日来店し、店内も久しぶりに活況が戻った。
 同店の店長は毎日新聞の取材に対し、「想像を超える来店人数でとてもうれしい。大変な思いをしたが、再開できて本当によかった」と安堵の言葉を述べている。

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