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私が有村架純だったころの話
職場の女子とランチに行って「家だとつい独り言とか言っちゃいますよね」と言われたので「わかります、架空の結婚式の友人代表スピーチの練習とかしますね」と答えたら普通にキョトンとされた。
このあとに「私が有村架純だったころの話の練習」パターンも控えているが言うのはやめた。
以前付き合っていた人には、付き合う前のデートで「私が有村架純だったころの話」をしたことがある。
場所は静かめのバーで、彼はツッコミを入れることもなくひたすらに泳がせてきて、私も負けじと「あまり知られていないが2017〜19年頃にかけて有村架純は地域ごとの分業体制をとっていて、私が中四国ブロックを担っていた」と長尺の嘘漫談を披露しきった。
いくらでも「え、なにそれ」と苦笑いすることはできただろうにしてこないことに心惹かれた。あまりに熱心に相槌をうってくれるのでもともとのスクリプトにないところまで淀みなく詳細に説明した。
それで「ホントすごいなぁ…」と感嘆されたまま彼は2人分の会計を済ませてくれていて、その後縁あってお付き合いしたが、結局別れてしまったので、実は私は有村架純ではないとまだ言えていないことを今でも時々後悔する。
ハ?
こんな話をしたいのに。こんな話をずっとしていたいのに、職場の女子に話すとぜんぶ「変な子」あるいは「変な子アピールしてる人」にパッケージングされて終了するのだろうからわざわざ言うことはない。まともな会話がどれかぐらいわかる。ちゃんと天気の話は得意だ。こちらにも社会性とかはある…。
だけど、「架空の結婚式の友人代表スピーチの練習」もそうだとは思っていなかった。ハッキリ言ってもう外で喋ることがない。
なんでみんな、演技をしなくても自由に話せるんだよ。私も早く、わざと面白い話をしようとか、わざと面白くない話をしようとか、考えていない人間になりたい。
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