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何が京都の美しい

就職で京都を離れて4年間、京都出身ですと言うと十中八九「いいところですね」と言われた。京都がいいところであることは間違いない。しかし、「ですよね、例えば」と私の話を始める前に、ぐっと立ち止まって「どう好きなんですか?」と聞いてみると、人によってそれぞれの京都像があり、京都愛があるから面白いことに気づいた。

「抹茶が好き」「金閣寺が好き」「着物で歩くのが好き」
これは生まれた時から住んでしまっている我々には完全な理解が難しい魅力だ。我々は「修学旅行で初めて京都に行く」ことができないのだ。彼らの話す、内容自体はあくまでガイドブックに載っているだけの情報ばかりでありながら、絶対的に好意的で憧れにみちみちた京都像は美しい。「だったらここの甘味処はかわいくておいしいし祇園四条からアクセスもいいから最高だよ!」とこっちまでうきうきしておすすめをしたくなる。けっこういいお値段するから、ごめん実は一回しか行ったことないんだけどね。

「清水寺の陶器市が好き」という人もいた。
前職で、あまりしゃべったことがない後輩を営業車の助手席に乗せていた時、お互いに軽く自己紹介して出身の話をすると毎度おなじみの「いいところですね」が返ってきたので、甘味処をすすめようとしたらそれは違った。
彼女は毎年欠かさず、それも一人で、清水寺の陶器市のためだけに京都遠征しているらしいのだ。形勢逆転である。私のまったく知らない京都の話が、会場の静かな熱気の話が、陶器との一期一会の歓びの話がはじまった。たまらないな。根底にあるのはまず彼女自身の焼き物愛だと思った。多分京都でなくても、場合によっては、例えば信楽でも有田でも毎年通うに至る物語ができたであろう人の基盤が、京都という土地の魅力と融合してこれだけ語らせるのだから美しい。地元民だからといってふふんと得意げにおすすめする場所などひとつもないと感銘を受けた。

「ノスタルジーが好き」
これを言う人は厄介である。某旧帝大卒の人に多いのだが、むやみに京都に郷愁性を持たせて自身のモラトリアム?とかルサンチマン?とかに結び付けがちなのだ。もしかしたらまだ横文字で話をややこしくする癖が抜けないまま社会人をやっているのかもしれない。
「久々に京都戻ったら百万遍のダイコクドラックが閉店してて泣いた」
っていやいや…。久々だからじゃないですか?
そこの2階で塾講師してたか何だか知りませんが、ずっとその地に住んでいる人々はダイコクドラックが閉店しても泣かないと思います。
いずれその地を離れるとわかっていながら数年間の底抜けの自由を謳歌する儚さ、幻かと思うほどの可笑しみ、全国から集まってきたかけがえのない友人。それはきっと一生の宝なんだろうな。過酷な受験勉強と、卒業後の様々な業界を担っていく責任にサンドイッチされた、何者でもなくすごす数年間とともに京都が持つその惹きつけるものに、私が完全な理解を示すことはできないがやはり美しいことは想像に難くない。

要するに京都は美しいのである。
誰がどう語っても美しい。そこにそれを語る人固有のバックグラウンドがあり、その人たちが等しく皆美しいのであるから、結果的にどうしたって京都は美しいとしか言えないのだ。

最後に私が思う京都の美しさについて語ろう。
それは「先輩の赤ちゃんがかわいいこと」である。お世話になった人の赤ちゃんがいる街、京都。
もうそれだけで十分だと思う。いつか出町のミスドで一口サイズの「ドーナツポップ」買って鴨川の亀の石の上で食べたいな。せっかくだし、会う前にカナートかビブレでも行ってなんか雑貨でも買ってみようかな。

いや、違うわ。カナートは「阪急スクエア」に、ビブレは「イオンモール北大路」に、経営母体変わって名前変わったんだった。泣いちゃう…。
この前初めて「阪急スクエア」に行ったけど、垢ぬけすぎて梅田にワープしたんかと思ったわ。




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