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夏祭りに行かない

よく知らない人にご飯に誘われて2時間ほど無難にやり過ごした帰りの駅で、浴衣の女の子を見た。ひらひらかつきらきらした紫色の帯がきれいだった。
調べてみると、ここから電車で40分くらいの場所で地元の祭が開催されているらしい。へぇ、とだけ思う。3週間にわたる研修中、関東でホテル暮らしの私にとって、知らない土地の知らない祭は2段階で他人事なのである。
その後も、ぴかぴか光る棒を持った小学生男子の軍団とすれ違った。夏祭りに行きたいなと思った。行きたい相手は特段いなかった。


一緒に行きたいと思う相手がいないとき、夏祭りはその効力を発揮しない。


幼少期に祭に行った記憶はほとんどない。実家はマンションで、花火大会の花火はベランダから見えたから、毎年会場には行かずいつもそこから見ていた。人混みが嫌いなのだ。

小学校の運動場でPTAが主催している納涼祭みたいなものには毎年行っていた。あの頃の小学校の校庭は相応の大きさだと認識していたが、今思うとそこはあまりに狭い。
ヨーヨー釣りとスーパーボールすくいで無双して、親御さんが頑張って運営しているショボめのお化け屋敷に入って、蛍光色のシロップをかけたかき氷を食べる。そのくらいのことだ。記憶の中で焼きそばと虫除けスプレーの匂いがする。


大学の隣の神社では毎年2月に節分祭が開催されていた。大学1年のときは2020年度だったので中止だったが、その翌年から計3回、私は欠かさず節分祭に繰り出した。

大学最後の節分祭は約半年前、個人的お世話になっている人トップ3みたいな3人の友人とともに行った。

大学の正門を出るとそこはもういきなり『祭』という感じが始まっていて、異世界に迷い込んだみたいな感触だった。
友人が『もう予告が始まっちゃってる映画館に遅れて入るときの気持ちだ』と言った。

屋台のラインナップは毎年ほとんど一緒で、ああこれ去年も出ていたなあとか思いながら人混みの中をゆらゆら進む。似たような景色に過去2年の記憶が重なって多層的な気持ちになる。去年も一昨年も、行く相手は毎年違う、毎年違うけど、でも皆そのとき一番好きな人だった。そして毎年たい焼きを買う。今年も去年も一昨年も同じ店で。


祭って楽しいのに祭の記憶って帰ったらすぐ忘れてしまう。勿体ないけど、だから祭って夢みたいで、だから祭って良いのかもしれない。


京都では祇園祭の時期らしい。大学院に進んだ友人達がSNSの中でこぞって祇園に繰り出している。口の中で少し苦い味がして、画面を閉じた。セブンイレブンで研修の資料を印刷し、冷製パスタと野菜生活を買ってホテルに戻った。

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